恋に敗れた心は、ラ・シャマードを打ち鳴らす|腹の奥で、敗北の太鼓が鳴り止まない夜に

k-novel fan|恋に敗れた心は、ラ・シャマードを打ち鳴らす|胸の奥で、敗北の太鼓が鳴り止まない夜に ロゼの物置部屋

失恋した人間は、たいてい同じ言葉をかけられます。

「時間が解決してくれる」 「新しい恋をすれば忘れられる」 「そんな人のことは忘れたほうがいい」 「前を向いたほうがいい」

友人に説教されることもあります。
ときには、ずいぶん辛辣なことを言われたりもします。

どれも、長い目で見ればおそらく間違ってはいません。

けれど、いままさに恋に敗れている人間にとって、これらの言葉はあまり慰めになりません。
忘れたほうがいいことくらい、本人が一番分かっているからです。

分かっていて、それでも忘れられないから苦しい。
本当に苦しいとき、人は、なんでもいいからこの苦しさを少しでもどうにかしてくれるものにすがりたくなります。

占いの言葉。哲学の言葉。悲しい歌。報われない恋の小説。誰かのたった一言。

この記事は、失恋を治す方法を教えるものではありません。

そういう夜に手を伸ばすもののひとつとして、

「ラ・シャマード」という言葉を、ここに置いておきます。

ラ・シャマードという言葉

フランス語に la chamade(ラ・シャマード) という言葉があります。

戦いの中、包囲された側が、降伏や交渉の意思を敵に知らせるために打ち鳴らした太鼓、あるいはラッパの合図。

それがもともとの “シャマード” です。

battre la chamade——シャマードを打つ

「もうこれ以上は戦えない」と、自分の側から音で告げることです。

この音を鳴らすのは、勝者ではありません。
負けていく側が、城壁の内側から、自分の手で打つ音です。

そして現代のフランス語には、こんな表現が残っています。

le cœur bat la chamade ——心臓がシャマードを打つ

強い感情で胸が激しく高鳴ることを意味し、恋の場面でもよく使われる言い回しです。

降伏の合図と、恋の高鳴り。

一つの言葉が、この二つを抱えています。

フランソワーズ・サガン
La chamade(ラ・シャマード)

私がこの言葉を知ったのは、二十代の頃です。

当時、フランソワーズ・サガンに夢中でした。

『悲しみよ こんにちは』、『ブラームスはお好き』——そして、『熱い恋』。

その原題が、La Chamade です。

邦題からは分からなかったその言葉の意味を知ったとき、妙に腑に落ちたことを覚えています。

敗北を悟った側が、自ら打ち鳴らす太鼓。
降伏を知らせる音。

——なるほど。これか。

恋が終わったときの、あの苦しさ。

忘れようとしても、忘れられない。
もうどうにもならないと分かっているのに、心だけがついてこない。

ずっと身体のどこかで鳴り続けていた、あの感じ。

あれは、この音だったのかと。

苦虫と、腹の中の太鼓の音

失恋の苦しさを言葉にするなら、私ならそのひとつは「苦虫を噛む」かな。

もちろん、本物の苦虫を噛んだことはありません。

ただ、あの慣用句から想像する感覚——どうにもならない苦さを、吐き出すこともできないまま、口の中で噛みしめている——

この感覚が失恋の時間にいちばん近い気がします。

そして、同時に、

胸というより、腹の奥で、太鼓がずっと鳴っている。

どんどん、どどんどどん、と。

仕事をしていても。食事をしていても。誰かと笑って話していても。

意識の底で鳴っている。
相手を思い出すと、不規則に。次第に大きく。

「もう勝てない」
「私は選ばれない」
「この人は、手に入らない」

——自分自身の敗北を告げる太鼓の音

自分の身体の内側で、自分に向かって鳴り続けている。
頭ではとっくに分かっている現実を、身体の奥から何度も聞かされる。
苦虫を噛むように、どうにもならない現実を噛みしめながら。

まだ愛している身体の中で、同時に、その恋の敗北を告げる音が鳴っている。

——失恋とは、こういう音のことだったのだと。

この太鼓が鳴り止まないかぎり、苦しさも終わらないのだと。

だから、ひたすら、
この音が聞こえなくなる瞬間を待ちながら、毎日をやり過ごす。

鳴っている音を、止めなくてもいい

私自身は、ああいう恋の苦しさから、もうずいぶん遠いところにいます。

過去の恋の細部も、遠い記憶です。

それでも、あの頃は本当に苦しかった、という感覚だけは覚えています。
腹の中で、あの太鼓が鳴っていたことも。

だから、いままさにその音の中にいる人に、
「いつか大丈夫になる」と言うつもりはありません。

そんなことを言われても、あの頃の自分には、たぶん何の慰めにもならなかったから。

まだ好き。悔しい。苦しい。選ばれたかった。

それなら、無理に忘れようとしなくてもいいのかもしれません。

悲しい歌を聴いて、泣いて。
報われない恋の小説を読んで、また泣いて。

傷口に塩を塗るような夜があったっていい。

このサイトにも、『泣いてみろ、乞うてもいい』や『バスティアン』のような、恋に敗れる苦しさを嫌というほど疑似体験できる物語があります。

せっかくだから、腹の中の太鼓が鳴っているあいだは、一緒に物語でも読みませんか。

無理に止めようとしなくても、いつかふと気づいたら、あれほど鳴っていた『ラ・シャマード』が聞こえなくなっているかもしれません。

それまでは、もう少しだけ。

恋に敗れた人たちの物語に、付き合ってみるのも悪くないと思うのです。

🌹 恋に敗れる痛みを、物語の中でもう少し

『この結婚はどうせうまくいかない』
愛しているからこそ離れようとする。それでも、どうしても手放せない恋
作品ガイド

『泣いてみろ、乞うてもいい』
愛しているのに届かない、選ばれない。その苦しさをこれでもかと描く物語
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『バスティアン』
愛しているのに傷つけ、失ってからなお手放せない。そんな恋の物語
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