カッセル・エスカランテ人物考察③「人魚と兵士」は誰の物語なのか|この結婚はどうせうまくいかない テーマ考察【ネタバレ】

カッセル・エスカランテ人物考察③「人魚と兵士」は誰の物語なのか|この結婚はどうせうまくいかない テーマ考察 キャラ別考察

『この結婚はどうせうまくいかない』第8章に登場する「人魚と兵士」。

初めて読んだとき、私はこの伝承を、
カッセルとイネスを重ね合わせた美しい寓話だと思っていました。
けれど作品を読み進めるうちに、その見え方は少しずつ変わっていきます。

本記事では、「人魚と兵士」という伝承を手がかりに、作品全体を貫く象徴について考察します。

※本記事は管理人ロゼによる個人的な考察であり、原作で断定されている内容ではありません。
本文中の会話は原文から引用しています。(引用元:原作2巻、3巻)


噴水の中央、岩の上に、美しい人魚が座っている。

けれど水の中には、もう一体の像が沈んでいる。
人魚ばかりに目を奪われていると、その姿には気づかない。

——この噴水の構図そのものが、この物語の構図に見えてきます。

「人魚と兵士」とは、いったい誰の物語なのか。

その問いを、少しだけ深いところまで潜って考えてみたいと思います。

伝承——心臓を持たない人魚と、海へ沈んだ兵士

まず、作中で語られる伝承をおさらいしておきます。

心臓を持たない人魚たちは、感情を知らない。
誰も愛さず、だから傷つくこともない。

ある日、若い水兵が人魚を救い、恋に落ちた。

人魚は、彼が本当に自分を愛しているのか試したくなった。
言葉だけでは足りなかったから、陸を離れて、海で共に暮らそうと言った。

兵士はすぐに後を追った。

深く、より深く。
とうてい息などできない場所まで。

人魚たちは、人間が海で息をできないことを簡単に忘れてしまう。
そして兵士は、息が詰まるほど人魚を愛していた。

手遅れになってから、人魚は死んだ兵士を引き上げようとした。
水の外へ出れば息ができる、息ができれば生きられる——そう、純粋に信じて。

けれど彼は、沈んでいくだけだった。

人魚が望んだ世界へ。
彼女には、永遠に届かない場所へ。

——切ないというより、どこか理不尽な話です。

兵士は愛したまま死に、
人魚は最後まで、自分が何をしたのか分からない。

「愚かではなかったのかもしれない」——兵士がカッセルになる瞬間

噴水広場で、イネスは水中の兵士像を眺めながら言います。

「あなたの言う通り、彼は間抜けだったわね」

おかしな女に目を奪われて、後を追いかけるうちに、
自分が死んでいくことにも気づかないなんて。

カッセルは同意します。
半分が人間で半分が魚の女の魅力は「顔、かな?」などと軽口まで叩いて。

けれどその直後、彼はふと言い直すのです。

「もしかしたら、愚かではなかったのかもしれない……」

「愚かでなかったら?」

「溺れて死んでもいいほど、人魚を愛していたんだ」

この言い直しの瞬間、兵士は昔話の登場人物から、現実の人物に反転したのだと思います。

なぜ彼は、一度同意した「間抜けな兵士」を、わざわざ弁護し直したのか。
水の中の兵士に、自分の姿を見てしまったからでしょうか。

この場面で、カッセルの内心には、こんな言葉が流れています。

——たぶん、君が人魚に似て見えるのは、兵士が人魚を愛したように、私も君を愛しているからだろう。君を追いかけて水に溺れて死んでもいいほど。
どうやって呼吸すればいいのかさえ、分からないほど。

兵士を弁護することは、そのまま自分自身の弁護になった。

溺れて死んでもいい、と思っている男が、
「溺れて死んだ兵士は愚かではなかった」と言う。

伝承が、本作の象徴に変わるのは、まさにこの一言からだと私は読んでいます。

📖 実際のシーンをもう一度読み返したい方はこちら
原作3巻8章㉒|人魚と兵士 ― 溺れて死んでもいいほど

イネスはなぜ人魚に見えるのか——「試さない人魚」という矛盾

面白いのは、イネスが伝承の人魚と、ほとんど何も似ていないことです。

カッセル自身が、この場面でそう考えています。

彼女は彼を試さない。
彼の愛を望まない。
自分と共に去ろうと言うこともない。

それどころか、彼を弄ぶほどの関心すらないのだろう——と。

伝承の人魚は、兵士を試し、海へ誘い、結果として死なせました。

しかしイネスは、その逆です。

引き止めもしないし、求めもしない。
むしろ離れようとさえしている。

それなのに、カッセルの目には人魚に見える。

—— 綺麗なこと以外、何一つ似ていないはずなのに。

この矛盾の答えを、カッセルは
「私が君を愛しているからだろう」と結論づけています。

けれど私は、もう一つの読み方もできる気がしています。

イネスが人魚に見えるのは、彼女がすでに、水の中にいるからではないか。

心臓を持たない人魚は、愛を知らず、だから傷つくこともない。
回帰後のイネスが自分に課してきた生き方は、これにとても近いものでした。

愛さない。
期待しない。
いつか離れる前提で、カッセルの好意を負債だとして勘定する。

伝承の人魚が生まれつき心臓を持たないのに対して、
イネスは、心臓を深い場所へ沈めることでなんとか息を繋いで生きてきた。

カッセルが彼女に人魚を重ねたのは、直感として、正しかったのかもしれません。

ただ、彼が思っていたのとは、少し違う意味だっただけで。

「これだから男って間抜けだわ」という皮肉

この場面には、もう一つ残酷な仕掛けがあります。

イネスは兵士を「間抜け」と笑い、
カッセルの言い直しにも「愚かね」と返します。

カッセルは「……ああ、愚かだな」と、すぐに同意するふりをする。

イネスは何も知りません。

—— 自分が笑っている「間抜けな兵士」が、目の前にも1人いることを。

彼が今この瞬間も、息の仕方が分からないほど深い場所にいることを。

「これだから男って間抜けだわ……」

その言葉に、カッセルは苦笑します。

イネスにとっては、噴水を眺めながらの他愛ない軽口。
カッセルにとっては、自分の死因を本人に笑われているような滑稽な時間。

それでも彼は、訂正しない。
「私のことだ」とも、決して言わない。

代わりに、笑う彼女を見て、このまま絵に残せたらいいのにと思う。

——溺れて死んでも、これくらいなら上出来だった、と。

兵士は水の中で沈黙している。
カッセルも、水の中で沈黙している。

二つの沈黙が重なるこの場面は、静かで美しく、そして少し残酷でもありました。

もう一つの「兵士」の寓話——99日目に去った男

ここで少し、原作を離れます。

「待つ兵士」の物語として、私がいつも思い出す寓話があります。

映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で語られる、「兵士と王女」の話。

一人の兵士が、王女に恋をした。
王女は彼に告げる。

「100日間、私の窓の下で待ち続けられたなら、あなたのものになりましょう」

兵士は待った。
雨の日も、風の日も、雪の日も。

90日が過ぎ、兵士は蒼白になり、涙は流れたが、もう泣く力も残っていなかった。

そして99日目の夜——

兵士は立ち上がり、椅子を担いで、立ち去った。

映画の中で、この結末の意味は明かされません。
一般的には、「最後の一日を残して去ることで、兵士は自分の尊厳を守った」と語られることが多いようです。

あと一日待てば王女は手に入る。
けれど、100日目に拒まれたら、彼は恋も誇りも、すべてを失う。

だから99日で去った。
愛を未完のまま抱えて、誇りだけは手放さないように。

——美しい寓話だと思います。

ただ、私はこの寓話を思い出すたびに、確信に近い気持ちでこう思うのです。

カッセル・エスカランテには、この寓話は当てはまらない。

100日を過ぎても、窓の下にいる男

もし、仮にあの寓話の兵士がカッセル・エスカランテだったなら。

彼は99日目に去るだろうか。

私には、どうしてもそうは思えない。

エスカランテ家の後継者。
帝国屈指の大貴族。
帝国海軍将校としての将来も有望で、望めば何でも手に入る男。

誇りを守るためなら、恋の一つや二つ、切り捨てられる立場にいる。

けれど、イネスの前での彼を思い出してみてください。

もし窓の下に立っていたのがカッセルなら——

99日目に去るどころか、100日を過ぎても、101日目も、その先も、
きっと同じ場所に立ち続けているのではないでしょうか。

王女が窓を開ける気配がなくても。
街の人々に笑われても。

—— 誇りなど犬にでも食わせてしまえ。

カッセル・エスカランテは、イネスにだけはそんな男なのです、きっと。

去った兵士は、最後に誇りを守り、
沈んだ兵士は、愛を選んだ。

そしてカッセル・エスカランテは——

イネスがいる場所なら、沈むことさえためらわない男なのだと思います。

誇りよりも

「溺れて死んでもいいほど、人魚を愛していた。」

噴水広場で口にしたその一言は、決して比喩ではありません。

あの日、倒れたイネスのそばで涙を流し、
自分でも閉じ込めていた想いに気づいてから、カッセルはその言葉を行動で繰り返し証明していきます。

イネスに避けられても、責めることもなく、
代わりに、彼女が夜遅くまで筆写を続けていることに気づき、文鎮をそっと置く。

宝石を笑われても構わない。
「私の問題のある金遣いは君のものだ」と笑ってみせる。

離れていくと言われたら、
「帰ってくればいい」とだけ伝える。

どの場面でも、彼が守ろうとしているのは自分の誇りではありません。

ただ、イネスだった。

深海に沈んでいたのは、誰だったのか

——ここからが、この記事で一番書きたかったことです。

普通に読めば、構図はシンプルに見えます。

・人魚=イネス
・兵士=カッセル

人魚を追って海へ沈んでいく、愚かで愛しい男の物語。

けれど作品全体を読み終えてから、
この噴水の場面に戻ってくると、少し違う景色が見えてきます。

本当に深海に沈んでいたのは、イネス自身だったのではないか。

イネスは死の翌日、六歳へ戻りました。
エミリアーノとの人生は「昨日」のまま残り続け、
それ以前の記憶は白黒になって、遠くへ沈んでいった。

回帰は、救済などではありません。

歪められた時間。
色を失った記憶。
エミリアーノへの罪悪感。
ルカの死。
誰にも話せない、過去の人生。

彼女はそれらを全部抱えたまま、水面を装って生きてきた。

理想的な女主人を演じ、離婚を計画し、負債を数え、
安らかさに浮かびそうになれば「安住してはいけなかった」と自分を沈め直す。

穏やかな日々の下に、どれほどのものを押し込めていたか。
カンラン石のメダル一つで堰が切れたことが、その深さを物語っています。

彼女はずっと、自分で作った深い海の底にいた。

息の仕方も忘れるほど、長い間。

伝承の人魚は、海が故郷でした。
けれどイネスにとってその深海は、故郷ではなく——監獄だったのではないでしょうか。

カッセル・エスカランテの手

カッセルは、安全な岸から手を差し伸べる男ではない。

イネスがいる場所まで、自分から潜っていく。
そこが苦しい場所だと知りながら。

光の届かない場所へ。
息も続かない場所へ。

彼女が見ていた景色を、自分も見るために。

肺が水でいっぱいになるような息苦しさを抱えたまま、
彼は浮かび上がろうとはしない。

—— 彼女が、まだそこにいるのなら。

伝承の人魚は兵士を海へ誘った。

しかし、この伝承が語る結末とは違い、「この結婚はどうせうまくいかない」の物語は、

一人では帰れなくなった人魚を、兵士が同じ深さまで迎えに行く物語なのかもしれない。

もしも海の底にいるイネスが、やがてその手を取る日が来るのだとしたら。

それは、救われたかったからではない。

この人のそばなら、安心して息ができる。

そう思えるようになったからではないでしょうか。

この結婚はどうせうまくいかない|人魚と兵士, カッセル

答えはまだ

「人魚と兵士」は、誰の物語なのか。

カッセルが自分を兵士に重ねた夜、答えは決まったように見えました。

けれど読み進めるほどに、輪郭は揺らいでいきます。

試さない人魚。
沈んでいたのは、人魚の側だったかもしれないという反転。
99日で去らず、100日を過ぎても待ち続けるであろう1人の男。

そして物語の終盤——
戦争へ出征し、海の向こうへ渡っていくのはカッセルで、
岸で彼の帰りを待つことになるのはイネスです。

そのとき、人魚と兵士の配役は、もう一度入れ替わるのでしょうか。

それとも、二人はもう、どちらでもなくなっているのでしょうか。

噴水の水の中に、兵士は今も沈んでいます。

岩の上の人魚は、今も水面で光っている。

けれどあの夜、噴水のふちに並んで座っていた二人は、
その伝承の続きを、生きようとしていました。

その先を見届けるために、私はこの作品を何度でも読み返すのだと思います。

📕 あわせて読みたい

この考察の原点になったのは、噴水広場で二人が「人魚と兵士」の伝承を語る夜でした。
3巻8章㉑|噴水広場へ向かう夜

3巻8章㉒|「人魚と兵士」——溺れて死んでもいいほど

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