🌹 本記事は『バスティアン』原作109話をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分は原作の表現を引用しています。
「逃げてくれたら、僕としてはありがたいことだ」
バスティアンが妻の寝室で告げた要求の前で、
オデットには逃げ道がなかった。
ティラを盾にした脅し
「殺人者の妹と結婚することになったってことをニック・ベッカーは果たして知っているのかな?」
逃げようとする女の背中に向かって、
バスティアンはかすかな笑みを交えた質問を投げかけた。
あの男はもう、すべてを知っていた。
「それでも、腹の子のせいで渋々承諾したというのに、
そこに父親を殺そうとした罪人である姉まで加わっても、果たしてティラ・ベラーを受け入れることができるだろうか?」
残酷に息の根を止める瞬間でさえ、
バスティアンの声は落ち着いていて穏やかだった。
「……今、私を脅しているのですか?」
「脅しというよりは、助言に近いかな。どうせ僕は、どんな手を使っても目的を成し遂げるだろう。わざわざ不必要な犠牲を増やすのは、君の損ではないか?」
「ティラをこの件に巻き込まないで!」
「それは、君次第ではないかな」
崖っぷちに追い詰められても、結局家族を捨てられない女だった。
ならば、自分の子どもはもっといじらしく愛するだろう。
その愛を永遠に失う刑罰は、だからこそより苦痛になるだろう。
「気が進まないなら、行けばいい。逃げてくれたら、僕としてはありがたいことだ。そうすれば、ティラ・ベラーの結婚を台無しにしてやる口実ができるからな」
「こんなこと、やめてください、バスティアン」
今にも泣き出しそうな顔をしながらも、オデットは意地を張った。
「何かとんでもない勘違いをしているようだな、オデット。
僕は何も失わない。
借りた分を返してもらい、おまけに皇帝と同じ血が流れる子どもまで手に入れるのだから、いったい僕に何の損害があるというんだ?」
「どうして子どもを人質にしようなどと考えることができるのですか?
—— 他の誰でもないあなたが。
母親を失った子どもの人生を、誰よりもよく知っているあなたが、どうして!」
「心配するな、オデット。実の母親がいなくても子どもは立派に育つ。
僕がそうだったから」
「……立派に育ったと? あなたが?」
「まあ、この通りだ」
バスティアンは平然と笑い、止まっていた足を動かした。
よろめいたオデットは、デイベッドの背もたれを掴んで体を支えた。
奪われた選択
もうすべて終わった—— 結婚したティラを無事に新大陸へ送り届けさえすれば、
それで終わるはずだった。
今になって、すべてを水の泡に帰すわけにはいかなかった。
かといって、このまま諦めることもできない心が地獄をさまよっている間に、
バスティアンが背後からコルセットの紐を掴んだ。
「放して差し上げましょうか? あなたの選択を尊重します」
握りしめた紐に力を込めると、
きつく締めつけられていた結び目がほどけた。
長い睫毛の先に引っかかった涙の粒と、赤く上気した目元が、
必死に泣くのをこらえている女を、一層痛々しく見せた。
とっくに手に入れて捨てることができたはずだった。
それでもバスティアンは踏み込まなかった。
契約書を盾にすればいつでも手に入れられたはずなのに、
そんな形で関係を壊したくなかった。
永遠にこの女の心を得られなくなることを恐れていたのかもしれない。
だが今、その躊躇いは消えていた。
「バスティアン」
オデットは涙声で彼の名を囁いた。
ただ涙を浮かべて助けを求められるだけで、
喜んで慈悲と寛容を施してきた間抜け者が、まさに彼だった。
しかし、もうその状況は通用しなかった。
必死に袖口を掴むオデットから手を振り払ったバスティアンは、腕時計を確認した。
皇帝との約束を破るわけにはいかない。
この女の心など、もうどうでもよかった。
そう信じるしかなかった。
それは、拒むことのできない強要だった。
事後
激しく吹き荒れていた情事は、漏れ出た抑えきれない呻き声の中で終わりを迎えた。
体が徐々に冷え、事の分別ができる理性が戻ってくると、
自分がついに、この女とこの行為に踏み込んだという事実が改めて実感された。
バスティアンは、
虚しい笑いをこぼしながら、自分の影の下にいるオデットを見つめた。
遠い道のりを回り回って、再び元の場所に戻ってきたような気分だった。
虚しかったが、一方で晴れ晴れした気持ちでもあった。
損をしない計算で、
最初からそうすべきだった方法で、
この取引を終わらせることができたのだから。
オデットは崩れるようにデイベッドの上に倒れ込んだ。
か細く震える背中と肩がなければ、
意識を失ったと見てもおかしくないほどの姿だった。
バスティアンはハンカチで身なりを整え、浴室へ向かった。
手を洗い、
ネクタイとカフスを直し、
最後に結婚指輪をはめ直すと、
彼は最初と大して変わらない姿に戻った。
めちゃくちゃに乱れたオデットとは対照的な姿だった。
寝室に戻ると、
オデットは背を向けたままデイベッドに横たわっていた。
他の男に体を許したことのない女であり、
その事実はこの結婚が終わる瞬間まで変わらないはずだ。
それ以外の可能性は考慮しなかった。
彼が許さないからだ。
「皇室には、代わりによろしくお伝えしておきます。
陛下が自ら下さった貴重な贈り物は、とても大切に保管していると」
バスティアンは冷笑的な嘲りを含んで手袋を拾い上げた。
オデットは依然として沈黙を守り、彼に背を向けたままだった。
ゆっくりと手袋をはめたバスティアンは、背を向けた。
テーブルに置かれていた花束を落としたのは、意図しない失敗だった。
それを避けて通らなかったのは、明らかに意図的な選択だったが。
バスティアンは、靴に踏みつけられたバラの香りを残し、妻の寝室を後にした。
一定の歩幅と速度を保ちながら歩く足音が、
夕方の平穏が染み込んでいた廊下の中に響き始めた。
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