🌹 本記事は『バスティアン』原作91話をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分は原作の表現を引用しています。
夜が明けた。
一睡もできないまま向かい合っていた二人の客室に、
晴れやかな朝の陽射しが差し込んだ。
バスティアンは煙草をくわえ、オデットを見つめていた。
最後の機会
「もし、こんな風にばれていなかったら」
深く吸い込んだ煙を吐き出したバスティアンが、低くささやいた。
首を絞めて激怒を爆発させた後、初めて口にした言葉だった。
「だとすれば、一体いつまで僕を欺くつもりだった?」
おそらく、これが最後の機会だろう。
その事実を直感したオデットは、なかなか口を開くことができなかった。
正解を探そうとすればするほど、かえって混乱だけが深まっていくのみだった。
バスティアン・クラウヴィッツは実利を重んじる男だ。
皇帝との取引にかかっている利益のためにも、
この結婚を簡単に破綻させることはできないだろう。
「あなたが遠征に出るまで隠せばいいと思っていました。海外勤務を終えて戻ってくれば、私たちの契約は終わるでしょうから。だからこの山場さえ乗り越えれば、無事に離婚もできるかと思ったのです」
「ああ。離婚」
無表情だったバスティアンの顔に、冷たい笑みが浮かんだ。
裏ではスパイ行為をして裏切り、表では良い妻の役を演じた代価を受け取る。
その後は、さっぱりとこの結婚を終わらせてずらかる、と。
空しく愚かな欲望から解放されると、ようやく目の前にいる女の正体が見えた。
振り返ってみれば、
オデットは最初から今までずっとそうだったように思えた。
名ばかりの貴族としてどん底をさまよいながらも、
身の丈に合わない縁談を狙った女だった。
そして結局は、
オデットの俗悪な貪欲さを崇高な犠牲と美化したのは、まさに彼だった。
自分だけの錯覚と妄想で。そうして作り上げた虚像を愛しながら。
最も滑稽なのは、オデットは嘘をつくための努力さえする必要がなかったという事実だった。
すでに騙される準備ができていた馬鹿野郎の、絶え間ない自己欺瞞があったのだから。
吸い殻になった煙草を捨てたバスティアンは、席を立った。
窓に近づいてカーテンを開けると、青白い秋の陽射しが目を刺した。
──「愛している。一緒に行こう」
今となっては虚しい告白を反芻するバスティアンの口元に、冷たい嘲笑が浮かんだ。
英雄になるための朝
バスティアンは、普段と変わらない朝を始めた。
顔を洗い、髭を剃り、着替えた。
一睡もできなかった昨夜の痕跡は、どこにも残っていなかった。
オデットは、相変わらずソファの端に座ったまま、その光景を見守った。
まるで奇妙な悪夢を見ているような気分だった。
「準備をしてください、夫人」
やがてバスティアンが口を開いた。勲章と徽章の形を整えたバスティアンは、ゆっくりと振り返り、オデットと向き合った。
「代償は払うと言ったはずだが。違うか?」
あえてスパイの正体を明かしたテオドラ・クラウヴィッツの目的を、
今なら理解できるような気がした。
スキャンダルを起こす気は最初からなかったのだろう。
皇帝が仕掛けた舞台に横入りするほど愚かな女ではないからだ。
それでも、あえてオデットを武器にしたのは、
彼を動かすためだと見るのが妥当だった。
自らこの舞台を壊し、破滅するように。
バスティアンは淡々と敗北を受け入れた。
長い時間をかけて準備した計画を、他の誰でもない、自分の過ちで台無しにした。
たかがお前ごときのために。
最後の一歩を縮めたバスティアンは、落ち着いた動作でオデットの顎を掴んだ。
相変わらず恐ろしいほど美しい女だった。
軽蔑と憎悪だけが残った瞬間にも変わらない事実が、
バスティアンをさらに虚しくさせた。
「おとなしくクラウヴィッツ夫人の役を務めろ」
必ず皇帝との取引を成功させてやる。
オデットがもたらした損害を挽回するためには、皇帝と約束した結婚期間を必ず満たさなければならなかった。
どうせこの祭りが終われば遠征に出るのだから。
「刑務所に行きたくなかったと言ったか?ならば、そうさせてやるべきだな。知ってみれば、自分の父親を殺そうとした犯罪者。契約が終わり、お前を刑務所にぶち込む日が来るまで、完璧なクラウヴィッツ夫人として生きろ。何も知らないふりをして欺き、騙すことだ。得意だろう?」
顎を引き上げると、オデットはか細い呻き声を漏らした。
バスティアンは、微塵も揺るがない眼差しで彼女を見つめた。
オデットは相変わらず泣かなかった。
恐怖に震えながらも、気丈に耐え抜いた。
「これ以上、つまらない考えはしない方がいいでしょう。
レディ・オデットが払い終えられなかった代償は、ティラ・ベラーの手に渡るでしょうから」
「あの子はこの件とは、何の関係もありません!」
虚ろだったオデットの瞳に、初めて感情と呼べるものが浮かんだ。
バスティアンは呆れて失笑してしまった。
自らの弱点を自ら差し出す様だとは。
おかげで、もっと簡単に首輪を締められるようになったが。
「ティラを巻き込まないでください。これは全部私の過ちですから、お願いです」
「黙れ、オデット」
眉間をかすかにひそめたバスティアンが、首をかしげた。
「あなたは僕の命令に従いさえすればいい。君が好きなあの契約書に、はっきりと明記されていたはずだが」
バスティアンは手袋をはめた指先で、硬直しているオデットの唇をなぞった。
「この世で一番幸せな女のように笑え」
感情の残骸さえきれいに消し去ったバスティアンの顔に、
優雅な微笑みが浮かんだ。
「妹の人生だけでも守りたいのなら、うまくやるべきだな。そうだろう?」
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