手放す愛05|190話 ヘレネの娘 ─ 朝刊の祈りと、皇帝への年賀状

バスティアン|手放す愛05|190話 ヘレネの娘 ─ 朝刊の祈りと、皇帝への年賀状 原作本編

🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、原作をもとに、物語の流れと人物心理を整理しています。会話部分は原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。

目を閉じて祈ってから、新聞を広げる。
一面に彼の姿を見つけ、記事を読み終えて、ようやくまともに息ができる。

——もう、彼の知らせを受け取る権利はないのだから。

家も、年金も、信託も。
最後の知らせを聞いた瞬間、彼が何を心配していたのか悟ってしまう。

一方、夕焼けの艦長室で、男はペンを取る。
虚名の使い道を知っている男が。

——ヘレネの娘は必ず、母の王冠をかぶらなければならない。

朝刊の祈り

夜明けの街を駆けてくる新聞配達の足音。

玄関をうろついていたオデットは、慌ててドアを開けた。

寒さで両頬を真っ赤にした少年に、茹でたての温かい卵を二つ握らせてやる。ペコリと頭を下げて次の家へ走っていく。

朝刊をぎゅっと握りしめて振り返ると、唇から漏れた白い息が、青い夜明けの光の中に散っていった。

家に入ったオデットは、しばらく目を閉じて祈った後、新聞を広げた。

今日もクラウヴィッツ少佐の写真が一面を飾っていた。
トロサ諸島で善戦している英雄を称賛する記事。

——最後の行までじっくり読み終えて、ようやくまともな息ができた。

オデットは応接室の暖炉に火を起こし、その前に座って、もう一度新聞を読み返した。

戦況は激変していた。連戦連勝だったベルク軍は、ロビタの海軍要塞を占領するまでに進軍した。
だが、同盟国エタールの参戦によって形勢は逆転。北へ押し戻され、冬の入り口でようやく劣勢を挽回した。

北海戦線も大きな打撃を受けていた。本国の軍港を占領されたロビタの大洋艦隊が、エタールの援軍を後ろ盾に戻ってきたのだ。
一度は突破して確保した補給路が再び塞がれ、戦線は南下。敵軍が本土に上陸するかもしれないという危機感に、帝国中が騒然となった。

それでも艦隊は、北海を守り抜いた。総攻撃で停止線を回復し、補給路を開き直すという快挙を成し遂げた。

だが、オデットは喜べなかった。
激しい戦闘の先頭には、常に同じ名前があったからだ。

今日も同じだった。ロビタ艦隊総指揮官との交戦を勝利に導き、トロサ諸島北部の島の占領に道を開いた一等功労者。この勢いなら年が変わる前にロビタを北海から追い出せるかもしれない、という楽観論で記事は締めくくられていた。

そこにもやはり、その名が挙げられていた。

——「北海の英雄、バスティアン・クラウヴィッツ」

チェス盤の上

——骨董屋の孫。
父親を食い物にした人でなし。鉄くずと血の玉座に座った成金。

そう非難されていた名前が、いまや帝国の守護者として君臨している。

あれほど彼を排斥していたラッツの社交界までもが、態度を変えた。
昨日は北海艦隊に送る新造戦艦のための慈善募金会が、ラッツ・オペラ劇場で開かれた。街のあちこちに貼り出された広報ビラの写真を、オデットは長い間じっと見つめていた。

「あなたは、まだチェス盤の上に留まっているのね」

——ふとそれに気づくと、心が限りなく悲しくなった。

彼をけなし嘲笑っていた口々が連呼する英雄の名前を聞きたくなくて、オデットは遠回りをして帰宅した。

今日もそんな一日になるだろう。

階段を降りてきたメイドが、明るく朝の挨拶をした。その後ろから、マルグレーテと三匹の子犬たちもやってくる。

オデットは新聞を置き、駆け寄ってきた犬たちを順番に抱きしめてキスをした。そして、今日訪ねてくるトリエ伯爵夫人のために、好みの料理を用意するようメイドに頼んだ。

メイドはもともとトリエ伯爵家の使用人だった。一人で暮らすには大きすぎる家を案じた伯爵夫人が、使用人を一人つけてくれたのだ。

何度辞退しても受け入れられず、オデットは自分で賃金を支払うことを条件に、その好意を受け入れた。

信託が語るもの

ジェンダース伯爵とトリエ伯爵夫人が心を合わせて用意してくれた、ラッツ中心部のタウンハウス。
三ヶ月が過ぎても、この家を所有しているという事実が信じられなかった。

毎月支払われる年金も同じだった。
バスティアンは契約報酬の何倍にも達する慰謝料を支払ってくれた。
それだけでも驚きだったのに、ラッツに戻るとまた別の知らせが届いた。

——オデット様宛に残された信託がある、と弁護士は言った。
今後五年間、毎月年金の形で支払われ、それ以降は解約が可能。ただし解約には、財産管理人を指定するか、自ら資産を管理する能力を証明する手続きが必要だと。

「突然巨額の財産を持つことになったオデット様を守るための手段ですので、どうかお気を悪くされないでください」

——気を悪くするはずがなかった。

聞いた瞬間に悟ったのだ。彼が何を心配していたのか。
そして、どれほど深く心を砕いてくれたのか。そのすべてを。

オデットは静かに息を整え、冬の朝日に染まっていく応接室を見渡した。

その視線が、窓辺の美しいピアノに留まる。

——この家は、最初から完璧な状態だった。

家具も装飾も家財道具も、すべてが揃っていた。新大陸へ移住する前の家主が一括で処分したおかげだと、ジェンダース伯爵は言った。

あのピアノも同じ理由で自分のものになったはずなのに、ほとんど使用感がなく、新品同様だった。

知らせを受け取る権利

週に三回、オデットは海軍省傘下の軍事諮問機関へ通っている。
連合国からの書簡を翻訳するボランティアの新聞広告を見て、すぐに志願した。

女性は必要ないという態度だった面接官は、フェリア語の実力を確認すると考えを変えた。
——英雄の妻だったという事実、皇室の血筋。
スパイの危険が低いと判断され、軍事文書の翻訳部署に配属された。

重要な書類は軍人たちに任され、雑務を手伝う程度だった。
それでも、海軍のために働けることが嬉しかった。

そして、もしバスティアンに何かあった場合、いち早く知らせを受け取れる場所だという利点も大きかった。もう公式には、彼の知らせを受け取る権利はなくなっていたから。

海軍省へ向かう毎朝、オデットはそのことを実感した。
そして、決められた時間より早く出勤した。今日もそうだった。

地味なブラウスとスカートに、濃い灰色のコート。飾りのない帽子と手袋。
凍りついた道を走る足音が、冷たく澄んだ大気の中に響き渡った。

年末の艦長室

前日の交戦で損傷した後部甲板の修復状況を確かめ、バスティアンが艦内へ戻ると、郵便室の前には長い列ができていた。

緩んだ顔で笑っていた将校や水兵たちが、彼を見て一斉に顔色を変え、力強く敬礼する。

「艦長宛ての手紙と小包です」

艦長室で紙袋を開けると、アルデンヌの邸宅と会社、他の戦線の友人たちからの年賀状がどっと出てきた。叔母は自ら編んだ毛布を送ってきていた。

——年末が近づいたことを実感すると、ふとあの女性が思い浮かんだ。

一年の最後の日が、オデットの誕生日だった。戦時中とはいえ、今年の誕生日は、地獄に閉じ込められたまま過ごした去年よりは良い日になるだろう。

もしかしたらマクシミリアン・フォン・ジェンダースと一緒かもしれない、という考えが浮かぶと、歪んだ笑いが煙とともに漏れた。

ジェンダース伯爵が約束を守ったことは、弁護士の報告書で確認していた。

オデットは無事にラッツへ定住し、バスティアンが手に入れておいたタウンハウスの所有権も、完全に彼女へ譲渡された。

行くあてもなくさまよっていた寂しい女性に、自分の所有する家ができた。
その事実は、バスティアンにとっても大きな慰めになった。

虚名という武器

年賀状と贈り物を整理したバスティアンは、窓辺に立ってタバコを吸った。

レイヴァエル号は、敵艦隊の潜む海域を通る軍需物資輸送船の護衛任務に就いていた。
翌日には安全地帯に入る見込みだった。

短い冬の陽が暮れると、海は一面、赤く染まり始めた。
振り返ったバスティアンは、机の前に座って引き出しを開けた。

もう残っているのは、皇帝の約束の履行くらいだった。

デリケートな事案である上に、戦時中だ。時間を要するのは理解できる。
だが、もう二つの季節が過ぎた。いつまでも手をこまねいて待ってはいられない。

——「北海の英雄」

バスティアンは、その虚名が持つ力をよく知っていた。
その武器をどう使うべきかも。

決意を固め、タバコの火を消した手でペンを握る。
便箋の上をためらうことなく動くペン先の音が、夕焼けに染まった艦長室の中に染み渡り始めた。

皇帝の計算

煌びやかな紋章をつけた自動車や馬車が、次々と皇宮の正門を通り過ぎる。
書斎の窓からそれを見守る皇帝。

皇室の問題を扱うため、今日の会議は私邸で非公開とされた。

議題は——「ヘレネの復権」。

帝国中が戦火に巻き込まれている時期に、
すでに亡くなった妹の復権などを口にする皇帝を理解できない。

元老たちは非難も憚らなかった。
そのため日時が延びてきたが、もうこれ以上は引けない。

北海戦線から手紙が届いたのだ。
帝国の海を守護する英雄が、皇帝に送った年賀状だった。

——『年が変わる前までに』

バスティアン・クラウヴィッツは、勝手にデッドラインを決めた。
その時までに取引が成立しなければ、戦意が大きく削がれるだろう、と。

もっともらしい名分と大義を振りかざしているが、
その本質は借金を取り立てに来たチンピラの脅迫に近い。

やはり悪名高い金貸し屋の血筋であることを実感させる一面だった。

何度も繰り返し読んだ年賀状を置いた皇帝は、久しぶりに声を上げて大笑いした。

一見、バスティアンが優位に立ったように見える。だがこれは結局、皇帝が勝ったゲームだった。バスティアンは、自らの弱点がオデットであると公言したようなものだからだ。

ここに至り、皇帝はもはやディセン公爵を憎んでいなかった。
父親に似て美しい娘が、悪魔の猟犬を手なずける首輪になってくれたのだから。

——愛。
それが一体何だというのだろうか。

皇帝には、どうしてもその愛が理解できなかった。

ただ、憐れんだ。
そして計算した——何が帝国のためになるのかを。

皇帝の中では、すでに結論が出ていた。
頑固な元老たちを説き伏せるのは容易ではない。
それでも今日は、何としても自分の意志を通すつもりだった。

帝国は英雄を必要としていた。
そして英雄は、自らが捨てた妻のための王冠を望んでいた。

——だから、ヘレネの娘は必ず、自分の母の王冠をかぶらなければならない。

英雄が守るべき帝国のために。

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