🌹 原作小説『この結婚はどうせうまくいかない』原作をもとに、物語の流れと人物心理を整理しています。会話部分は原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
ずっと、人を駒としてしか見てこなかった。
家族も、友人も、部下も。愛した相手さえも。
——イネス様がお幸せなら、それで十分なんです。
その言葉に、忘れていた顔が浮かんだ。
あらすじ|火種はどこにでもある⑯
ラウルの言葉に、イネスは自分がどれだけ変わってしまったかを突きつけられる。
六歳で人生をやり直して以来、人を駒としてしか見てこなかった自分。
ところが今は、最初に死んだ日、最後まで近くにいてくれた人たちの顔、それらが鮮明に蘇ってくる。
カルステラで自分がよく笑うようになったことも、ラウルは指摘する。
問題がないように見える——それこそが、離婚するつもりのイネスには問題だった。
人が人として見えなくなっていた
六歳で人生をやり直してからというもの、イネスは人を駒としてしか見なくなっていた。
家族も。友人も。部下も。憎んだ相手も。愛した相手も。
誰もが盤上の駒に過ぎなかった。
二十六歳まで生きた。十六歳に戻って二十歳まで生きた。そしてまた六歳に戻り、今は二十三歳。罰を受けるように何度も同じ場所を歩いてきた。
それでも、人を思いどおりに操れるなどという傲慢さは、最初からなかった。
時には、自分自身さえチェス盤の歩兵の一つに思えたからだ。
人を利用することは、泥棒が盗みを考えるくらい自然になっていた。
「……でも、どれだけ善人になろうとしても、本性までは変えられないのね」
「そんな私が、罪悪感だなんて……」
裏切り者ね、ラウル
「裏切り者ね、ラウル」
「ご主人様のお幸せを願うことが裏切りなら、私は喜んで国賊になります」
「イネス様がいなければ、大尉様はとっくに生きる気力を失っておられます。魂なんて、もうイネス様のところに置いてこられたようなものです」
「くだらないことを言わないで。そんなふうに飾り立てて、私へ押しつけないで」
「飾り立てる必要などありません。エスカランテ大尉は、そのままで十分立派なお方です」
エスポーサで育った使用人でもない。エスカランテ家の人間でもない。よりにもよってラウル・バランが、そんなことを言っている。
彼女の賢い犬は、どこか壊れてしまった。
いや——もう彼女の犬ですらなかった。
まるでカッセルが川向こうから、奪った犬を連れて手を振っているようだった。
忘れていた人たち
「私もフアナも、それだけなんです。イネス様がお幸せなら、それで十分なんですよ」
その言葉に、別の顔が浮かんだ——ペレスのフアナ。侍女たち。メンドーサ宮廷で崩れていく彼女を支えていた、最後の細い糸。
彼女たちは泣きながら見守ることしかできなかった。壊れていくイネスを。
最後まで。
そして、自分が死んだとき——彼女たちは、あの亡骸をどう見つめたのだろう。
ラウルは、どう片づけたのだろう。
胸の奥で、罪悪感が膨らんでいく。
それはもう、カッセルだけへのものではなかった。
フアナへ。ラウルへ。あの頃、自分のそばに残ってくれた人たちへ。
——初めて死んだあの日。
最後まで近くにいた人々の顔を、こんなにはっきり思い出したことはなかった。
オスカルの狂気も、家門の没落も。それ以外の出来事は、ずっと昔に読んだ物語のようにぼやけていたのに。
エミリアーノと子どもを失って以来、悲しみも絶望も罪悪感も後悔も、全部彼らだけに向けられていると思っていた。
けれど今は違う。
忘れていた名前の一つ一つにまで、罪悪感がまとわりついている。
イネスにはもう分からなかった。カッセル・エスカランテが、自分に何をしてしまったのか。
ずっと夜のように暗かった世界が、不意に明るくなり、見たくなかったものまで見えるようになってしまった。見えないままでいられたなら、そのほうが楽だったのに。
問題がないように見えることが、問題
「あなた、本当に私の幸せが何なのか分かっているの?」
私の幸せは、そんな簡単なものじゃない。穏やかで、平凡で、誰もが願うようなものではない。私は、そんな幸せを手に入れる資格なんてない。必要ですらない。
そこまで浮かんだ言葉を、イネスは飲み込んだ。
「正直、高貴な方々に何が必要なのか、私には分かりません」
ラウルは少し困ったように笑った。
「ですが、ここへ来られてから、イネス様はよく笑われるようになりました。ペレスでは、一度も見たことのないお顔でした」
「私の顔の何が問題なの」
「問題がないように見えることが、問題なんでしょうか」
イネスはその言葉を静かに繰り返した。
(そんなはずない。)
問題なら、山ほどある。
「だから、お二人が一緒にいらっしゃるのが嬉しいんです。とても幸せそうですから」
百年経っても、こんな夫婦はいない。そんな大げさなことを平然と言う。
けれど、その目だけは本気だった。
そして——イネスとの約束より、自分が正しいと思うことを選ぶ頑固さも。
ラウルは昔と同じラウルなのに。もう、昔と同じではない。
まるでカッセル・エスカランテが、彼女の計算を一つずつ壊していくようだった。
自分がしようとしていたこと
「イネス様にも、本当の家族を持っていただきたいんです。ヴァレスティナで得られなかったものより、もっと温かい家族を」
(私たちは、そんな家族にはなれない。)
「カッセル様は、イネス様の弱さを利用するような方ではありません。利用するなんて、そんな発想すらなさらないでしょう」
イネスはぼんやり考えた。
自分は、どうしてここにいるのか。
カッセル・エスカランテと結婚するため。そして、いつか離婚するため。
ずっと、それだけだった。
なのに今、その単純な本音が、胸を締めつける。
弱点を利用するなど考えもしない男だ。その男に対して、自分がしようとしていたことは——彼がいつか利用できる弱みを見せるのを待ち続け、数年という人生を奪い、最後には離婚することだった。
一つお願いがあります
「あの方は、きっと誰より献身的なご主人になります」
ラウルはまっすぐイネスを見た。
「同情だからではありません。イネス様が壊れそうだからでもありません。ただ——イネス様を大切に思い、愛しておられるからです」
そして静かに立ち上がる。
「ですから当分の間は、イネス様ではなく、イネス様の結婚生活に全力を尽くします。大尉様が、イネス様を笑わせてくださる限り」
「私が笑うのを我慢したら?」
「できるなら、もっと早くそうなさっていたでしょう」
「消えなさい。エスカランテの犬」
「つまり、我慢しておられるんですね。本当は笑いたいと」
「カッセルって……あの人、呆れるようなことばかりするから。結局、呆れて笑ってしまうのよ」
「ええ。呆れ果てて、笑うしかなかったわけですね」
「生意気ね」
「その生意気な従僕から、一つお願いがあります」
「嫌よ」
📖原作3巻9章|火種はどこにでもある
◀ 第9章⑮|エスカランテの犬(前の記事へ)
▶ 第9章⑰|(※更新予定)
📖 今回のエピソード対象範囲
| プラットフォーム | 対象話数 |
| ピッコマ・LINE漫画・COMICO | 第48話相当 |
| めちゃコミ | 第49話相当(推定) |