🌹 本記事は、『この結婚はどうせうまくいかない』原作第7巻・第16-2章をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分や必要な箇所では、原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
第16章「川はみな海に注ぐが、海は満ちることがない㉜
「ドン・モラレスを呼びなさい」——
印刷所を訪れたイネスの一手は、その日の夕方には形になった。
緊急発行された『メンドーサ週報』が、カッセル・エスカランテ・デ・エスポーサ戦死の悲報を、メンドーサ全域へと伝えたのだ。
「保護」と「孤立」は同じ意味だった
ノリエガ大佐が独断でできることには限界があった。
エスカランテ家へ訃報を知らせることまではできても、
それを世間へ公表する権限まではない。
そして今、皇室にできることといえば——
すでに死んだとされるカッセルを、何としてでも「生きていることにしておく」ことだけだった。
だがイネスは確信していた。
皇帝が、海軍からエスカランテ公爵へ直接戦死通知が届いていた事実を知るのは、
号外を手にしたメンドーサ市民とほとんど同じ頃になるだろう、と。
皇帝は、わずかに窮地へ追い込まれただけでも、自分のことしか考えられなくなる男だ。
海軍へ厳重な口止めを命じるだけで精一杯で、
エスカランテ家がすでに訃報を受け取っているところまで、思い至る余裕などない。
ましてや、首都中の兵力をかき集めて宮廷を幾重にも守らせた結果、
皇帝自身が外の世界から孤立していた。
この場合、「保護」と「孤立」は同じ意味だった。
宮廷前のデモ隊が日に日に膨れ上がる今、
「カッセル・エスカランテが死んだ」という事実が知れ渡れば、それは皇太子を絶壁から突き落とすも同然だった。
もちろんフアンは、息子の戦死を、まるでこの機会を待ち侘びていたかのように世間へ触れ回るほど、品位を欠いた男ではない。
けれど、彼らは一つ見落としていた。
その傍らには、オスカルの最後の最期を心から望んでやまない、
もう一人の家族がいることを。
たとえば——フアン・エスカランテの、たった一人の嫁のように。
演技など、必要なかった
イネスはエル・コルテで語った。
自分の夫は、悪名高き大領主オルランドを討ち取った。
けれど最後には、その卑劣な策略に巻き込まれて深い海へと落ち、行方不明になった。
そして、とうとう遺体も見つからなかったのだと。
血の気を失った顔には、もう流す涙さえ残っていないように見えた。
言葉は途切れ、まとまりさえしなかった。
けれど、それは初めて自分の口から語る、夫の死だった。
演技など、必要なかった。
「カッセルが死んだ」——そう口にするだけで、声は勝手に震えた。
何かを飾り立てる必要など、一つもない。
まともに言葉を繋ぐことさえできず、息を詰まらせる軍人の妻。
イネスは、自らの悲惨な姿そのものを格好の材料として、静かに彼らの前へ差し出した。
ただ「オルテガのために勇敢に戦い、戦死した」——そんな断片的な事実だけでは、あまりにも足りなかった。
カッセルの死は偉大であると同時に、その底の底まで悲惨なものでなければならない。
誰もが悲しみに耐えきれず、その怨嗟をぶつける先を探さずにはいられないほどに。
自分が望むとおりの言葉を、一字一句違わず彼らに書かせることには、もうずいぶん前から慣れていた。
だから、これもまた忌々しいほど偽善的な行為だった。
——オルテガの国民が、夫をどれほど愛してくれていたか知っているからこそ、
悲しみをこらえてここまで来たのだ。
どうか、多くの人々に彼のために祈ってほしい。
そう語った。
彼は死んでいません。私には分かるのです
エル・コルテを出たイネスは、その足でヴァレスティナ公爵邸へ向かった。
父・レオネルに婿の訃報を伝えると、
今日中に群衆の中へ紛れ込ませる扇動役を用意してほしいと、臆することなく要求する。
何かを大々的に主導させる必要はない。
ただ、あちこちで熱狂する者たちに加わり、その熱を周囲へ伝染させる者がいればいい。
まともだった者まで、その熱に呑み込まれていくように。
呆気にとられた父を前にしても、イネスの乾ききった表情は変わらなかった。
そしてエスカランテ公爵邸へ戻ったイネスは、
フアンとイサベラに許しを請うた。
長男の戦死という知らせを受け止める暇さえないうちに、
その死を政治的に利用してしまった自分を、決して許さなくても構わないと。
二人が自分を許さないはずなどない。
それが分かっていたから、これもまた偽善ではあった。
それでも——その言葉だけは、本心だった。
——本当に、私を許してくださらなくても構いません。
——けれど私は、私の夫が絶対に死んでいないと信じているからこそ、この「死」を利用することにしたのです。
「彼は死んでいません。本当です。私には分かるのです……」
その言葉を聞いたフアンが、どのような目で自分を見たのか。
イサベラが、どのような顔で泣き崩れたのか。
イネスは、そのすべてを鮮明に覚えていた。
まるで、悲しみに耐えきれず、
とうとう正気を失ってしまった者を見るような目だった。
レオネルもまた、よく似た表情を浮かべていた。
多少、人間味に欠けていたことを除けば。
その親にしてその子あり、とでもいうように、
イネスもまた父親譲りの平然とした顔を取り繕った。
そして、いつも通りの夕食を用意させる。
カッセルは死んでいない。
ならば、食事も取らずに寝込む理由など、どこにもない。
フアンも、イサベラも、ミゲルも——
同情と憐れみから食卓についてくれたのだと分かっていた。
それでもイネスは、何事もなかったかのように言葉を交わし、
いつもと同じように時間を過ごした。
周囲の誰も自分を信じてくれなければくれないほど——むしろ、確信は強くなっていった。
カッセルは死んでいない。
消えてしまったわけでもない。
まるで、カッセルの死を悼んで沈む家族の顔など、目に入っていないかのように。
カッセル・エスカランテ——その名を縫う
そんな彼女の様子のほうが、かえって不吉に思えたのだろう。
フアナとラウルは、一瞬たりともイネスから離れようとしなかった。
知らせを聞いて駆けつけたルシアーノも、妹を強く抱き締め、
怒りと絶望のあまり自分の身体を傷つけたりしなかったかと、あちこちを確かめた。
そんな彼らに囲まれている間も、
イネスは一心にカッセルのことだけを考えていた。
あなたは、どこをどれほど漂流しているのだろう。
今頃、どこへ流れ着いているのだろう。
もしかしたら、もう誰かに救助されているのかもしれない……。
夜も更けた頃——
イネスは窓辺に置かれた、かつてカッセルが用意してくれた小さな机の前に座っていた。
彼から届いた手紙の束を指先でトントンと叩きながら、暗い空を見つめる。
そのとき、遠くから響いてくる声に気づいた。
「……フアナ、聞こえる?」
窓の外へ身を乗り出し、外へ出て確かめてまいりましょうかと尋ねるフアナに、イネスは冗談めいた軽さで返す。
「いいえ。待っていれば、そのうち驚かせてもらえるでしょう」
いぶかしげなフアナの前で、イネスはただ穏やかな顔で、手紙を束ねた紐を撫でていた。
そして、先ほど投げ出すように置いた刺繍枠を、再び手に取った。
カッセル・エスカランテ
夜がさらに更ける前には、彼の名前を半分以上も縫い終えていた。
先ほどまでとは、まるで違う速さだった。
皆が交代で休むよう勧めても、イネスはそのまま夜を明かした。
やがて「カッセル・エスカランテ・デ・エスポーサ」という名をすべて縫い終え、
自分の短い名前まで刺したところで、もう興味を失ったかのように刺繍を置き、聖書を開いた。
四方から青みを帯びながら明けていく空が、揺らめく蝋燭の淡い光と重なっていく。
遥か遠くから聞こえる歓声は、さらに大きくなっていた。
しばらくすれば悪人はいなくなり
「イネス様!」
やがてラウルが、慌てた様子で寝室へ飛び込んできた。
荒く息を吐きながら、それでも言葉を続けられないのは、息が切れているせいではないようだった。
皇室が皇太子を使用人に変装させ、メルセデス通りから逃亡させようとしていた。
その事実が群衆に知られ、人々が一斉に押し寄せ——
「……崩御されたとのことです」
そこには、デレオンから外城を突破して入り込んだ農民たちが、大挙して押し寄せていたという。
ある者は、皇太子が群衆に押し倒され、そのまま踏みつけられたと言い、
またある者は、農民たちが手にしていた農具で襲われたとも言った。
変装しての脱出だったため護衛はほとんどなく、
同行していた使用人たちも皇太子を置いて逃げ出した。
「では、まだ確かなことは何もないのね?」
確かなのは、オスカルが死んだということだけだった。
遺体は原形を判別することも難しく、その一部は暴徒たちによって持ち去られ、サン・タラリア街道を行進し始めたという。
「……もはや陛下も、黙ってはいられなくなるわね」
けれど、皇帝に大した手立てがあるとも思えなかった。
いずれにせよ、しばらくは息子を失った悲惨な現実を噛み締める時間が必要なはずだ。
そして、自らが追い詰められているという切迫感も。
イネスは静かに視線を落とし、開かれたままの聖書の一節を見つめた。
『しばらくすれば悪人はいなくなり、 あなたがその場所を詳しく調べても、見出せないだろう』
イネスは聖書を閉じ、立ち上がった。
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この結婚はどうせうまくいかない 이 결혼은 어차피 망하게 되어 있다
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