泥の中の愛⑤|113話 最後の贖罪の道 ─ 質屋と、流れてきた旋律

バスティアン|泥の中の愛⑤|113話 最後の贖罪の道 ─ 質屋と、流れてきた旋律 原作本編

🌹 本記事は『バスティアン』原作113話をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分は原作の表現を引用しています。

バスティアンが数日間アルデンヌを離れた。

オデットにとって、久しぶりに訪れた隙だった。

飲み込んだ言葉

速度を上げて走った馬車が、ラッツの都心へと入った。

なかなか屋敷の塀の外に出てこないオデットを心配して、トリエ伯爵夫人が訪ねてきた。

ただ安否を確認してお茶を一杯飲む程度の短い面会のつもりだったが、
オデットが思いがけない頼みごとをしてきた。

「もしかして、何かあったのかい?」

「……いいえ。そんなことはありません。
久しぶりに伯爵夫人にお会いできて嬉しくて、
どうせなら移動の時間を一緒に過ごしたいと思いました」

まだ疑いを捨てていない様子だったが、
幸いにもトリエ伯爵夫人はそのあたりで引き下がってくれた。

外出しようにも、バスティアンの自動車と運転手を利用するのは危険だった。
かといって、一人で駅馬車に乗って外出するのも同じように怪しまれるだろう。

どうにもいい手立てがなく、目の前が真っ暗になっていた頃に、
トリエ伯爵夫人が訪ねてきてくれた。
救いの光のように訪れた機会だった。

馬車は、ラインフェルト・ホテルが建つ賑やかな通りで停車した。

「—— オデット」

今にも去ろうとしたところへ、トリエ伯爵夫人の声が聞こえてきた。

「もし助けが必要なことがあれば、私のところに来るんだよ。
何でもしてあげられるとは断言できないけれど、それでも一人で抱え込むよりはましだろう?」

静かにオデットを見つめる眼差しには、
温かな心配と気遣いが滲んでいた。

「……はい、伯爵夫人。そうします」

口を開いては、また閉じるといった動作を繰り返していたオデットは、
結局、適度な線を守る答えを選んだ。

最後の贖罪の道

トリエ伯爵夫人の馬車がプレヴェ大通りの向こうへと遠ざかっていくのを見届けると、
オデットは足早に踵を返した。

ティラが旅立つ日まで、
残された時間はあと二週間。

オデットは処分する貴重品や雑多な品々を詰めたバッグを抱え、
本来の目的地へと向かった。

その場所は街の裏側にあった。

迷路のように入り組んだ細い路地には、
賭博場や売春宿をはじめ、数多くの裏稼業が軒を連ねている。

その一角にある質屋は、どんな品でも人知れず買い取ってくれることで有名だった。
オデットがその存在を知ったのは、父のおかげだった。

母の遺品はもちろん、
履いていた靴まで売り払った父が幾度となく通った場所だったからだ。

黒いヴェールで顔を隠したオデットは、慣れた道を足早に歩いていった。

よりによって、あの賭博場の向かい側だと気づいたのは、
質屋の前にたどり着いてからだった。

父の賭博の借金のために売られ、あの男と出会った場所だった。

オデットは思わずぼんやりと立ち止まったまま、
その賭博場を見つめた。

バスティアンが施してくれた慈悲は、
結局、互いを蝕む毒となって返ってきた。

もう、あの男の人生から消え去ることが、
オデットに残された最後の贖罪の道でもあった。

微塵の罪悪感も残さずに背を向けられるようになったのだから、
それでいい。

深く息を吸い込んだオデットは、
断固とした動作で質屋のドアを開けた。

カランコロンと、チャイムの音が洞窟のような店の中に響き渡った。

ラヴィエール公爵との会談

「私の娘の涙ぐましい忍耐と献身は、一体いつになったら実を結ぶのだ?」

不満をぶつけるラヴィエール公爵の眉間に、神経質な皺が寄った。

「申し訳ありませんが、ラヴィエール公爵。私と皇帝陛下との取引は、まだ成立しておりません。変数が生じ、そのため当面はこの結婚を維持するつもりです」

「呆れてものが言えん。一体、あとどれだけ待てというのだ?」

「まだ確約を差し上げるのは難しいです。
もしラヴィエール様が受け入れがたい決定であれば、次善策を探されても結構です」

「娘をやろうとやるまいと、同じ利益を得られるようにしてくれるということか?」

「大差ない意味かと」

バスティアンは静かに微笑みながら、署名欄が空欄の投資約定書を回収した。

相手に配慮しているように見えるが、
よくよく見れば結局、自分が主導権を握るということに他ならなかった。

その瞬間、ラヴィエール公爵は確信した。

この男は、女を幸せにできる男ではないと。

あの男のそばで生きていく娘の未来が、はっきりと見えたようだった。
永遠に満たされることのない愛を渇望しながら、孤独で寂しく枯れていくのだろう。

「忌々しいベルクの奴らめ!」

深いため息をついたラヴィエール公爵は、
結局、約定書を奪い取るようにして受け取った。

流れてきた旋律

「おかえりなさいませ、旦那様。奥様はサンルームにいらっしゃいます」

三日はかかると言っていた仕事を二日で片付けて戻ってきたバスティアンは、
週末はラッツに滞在するという決定を覆していた。

「少し走ってくる。後のことは、その後で考えることにしよう」

服を着替えたバスティアンは、すぐに屋敷を出て海岸の散歩道へと向かった。

頭が混乱している時は、運動をする方が良い。
長年繰り返してきた習慣だった。

ふと足を止めたのは、ちょうど屋敷の角を曲がった頃だった。

開いている二階の窓から、音楽が流れてきていた。
バスティアンは見慣れた旋律に導かれるように、ゆっくりと顔を上げた。

—— サンルーム

オデットがいる場所だった。


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