🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。会話部分は原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
水車小屋での一夜が明け、
オデットは二人の間に、もう一度「適正な一線」を引く。
良い別れを迎えるための、最後の防壁。
一杯のコーヒーと一杯の紅茶にまで境界を引き、
残された時間を穏やかに終えようとした一日の果て——深夜、鍵のかかった扉の向こうから、轟音とうめき声が響く。
先に一線を引いたオデットは、自らその線を越えていく。
引かれた線
一晩降り続いた雨。
裏庭のポーチでタバコを吸うバスティアンにとって、緊迫した情勢も目前の戦争も、不意に遠い世界の出来事に感じられた。
永遠にこのまま、安らかな日々を過ごせるような気さえした。
上層部が知れば仰天するようなことだった。
時計に目を落として、包帯を巻いていないことに気づく。
いつもの彼らしくないミスだった。
毎晩化膿する傷は、なかなか治らない。
まくった袖を下ろして隠したところで、階段のきしむ音が聞こえ始めた。
降りてくるオデットのまっすぐな眼差しには、「あなたの助けは断る」という頑なさがはっきり見えた。
——ここまでよ。
彼女が引いた適正な一線が、今、はっきりと分かった。
バスティアンは、その線の外へ退くことで、不要な争いの余地を避けた。
「体の調子はどうですか?」
「もう大丈夫です」
コーヒーと紅茶
昨夜から今朝まで長く悩んだ末の結論は、ひとつだった。
——良い別れをしたい。
常に卑怯に逃げ出してばかりの関係だった。
未練を断ち切れなかったのは、きちんと終わりを迎えていなかったからかもしれない。
残りの三日をしっかり過ごし、笑顔で「さようなら」を告げられれば、この結婚を完全に整理できる気がした。
パンの生地をこね終えたオデットは、台所をあさって残りの食材を見つけ出した。
卵がたっぷりあるという事実に安堵したその瞬間、バスティアンが再び現れた。
「手伝うよ」
袖をまくり上げたバスティアンが、台所に入ってきた。
「二階で待っていていただけますか?」
やんわり断ったが、バスティアンは平然と調理台の前に立った。
「……では、野菜を少し切ってください」
任せた野菜を切る手つきは呆れるほど下手で、剥いた皮はジャガイモの半分ほどもあった。
猫背でジャガイモと格闘する戦争の英雄——呆れて、フッと笑いがこぼれる。
「剣術にも長けているというのは、どうやらただの噂だったようですね」
「包丁でジャガイモを相手にしたことはなかったので」
ふと、包帯の手首に視線が留まる。
休暇からもう数日、あの程度の擦り傷でいつまでも包帯を巻く男ではない。
新しく巻き直したように綺麗な包帯に、観察する眼差しが細くなる。
「手首はどうしたんですか?」
「訓練中に少し怪我をしただけです」
「ひどい怪我ですか?」
「いや。ただ、軽い擦り傷程度です」
「本当ですか?」
「嘘だと思っていますか?」
奇妙なほど静かな瞳に見つめられて、頬がかすかに赤らんだ。
「……いいえ。そういう意味ではありませんでした」
再び訪れた沈黙の中、二人はそれぞれの仕事に集中した。
バスティアンは応接間へ行ってテーブルを整え、
オデットはデコボコになった野菜をきれいに切ってオムレツを作った。
その間にパンが焼き上がり、スープも沸騰した。
オデットは最後に湯を沸かし、コーヒーの缶を取り出す。
「俺は紅茶を飲むよ」
「君は?」
雨に似た声が、再び一線を越えてきた。
少し躊躇したオデットは紅茶の缶を取り出した。
朝食のテーブルに置かれたのは、一杯のコーヒーと、一杯の紅茶。
オデットが再び引いた、明確な一線だった。
一緒に眠る日曜日
静かに降る雨のように、一日が過ぎた。
オデットは窓辺に座ってレースを編み、
バスティアンは向かい側の席で本を読んでいた。
この家に彼好みの本など一冊もないと知っていても、あえて干渉しなかった。
一線を守りたかった。
良い別れ、その最後の願いのために。
風邪気味の疲労に負けて、オデットはいつしか眠り込んでいた。
気づけば遅い午後。
オデットをそれ以上に困惑させたのは、体を包んでいた毛布だった。
そっと視線を上げると、椅子に座ったまま眠っているバスティアンが見えた。
一緒に昼寝をする日曜日の午後。
二人の間に存在し得るとは思わなかった、穏やかな時間。
夕食の支度を先延ばしにできない時間になって、ようやく席を立つ。
まだぐっすり眠る彼のやつれた顔を、鮮明になった明かりが際立たせていた。
どれほど熱望した復讐に成功しても、
クラウヴィッツ家の悲惨な最期が、ただ喜ばしいだけのはずがない。
もしも二年前、計画した通りに父親を破滅させていたら、
今とは違う結末を迎えられていたかもしれないということも。
互いに最悪の傷を与え合った関係。
ようやく苦痛の地獄から抜け出した男の、新たな地獄になりたくなかった。
どうか過去を忘れ、幸せになれるように。
自分も、そんな人生を送りたい。
だから、お互いのために、ここまでにしなければ。
残された時間は、わずか二日。
オデットは、適正な一線を守る自信があった。
そう、確かに、そうだった。
深夜の轟音
騒ぎが起きたのは、日付が変わった深夜だった。
雷が落ちたような音に飛び起きる。
窓の外の夜空は、雨雲が晴れて澄み切っていた。
幻聴だろうと結論づけた瞬間——ドンドン、と、さらに大きくはっきりした轟音。
バスティアンの部屋からだった。
ショールを羽織り、寝室を飛び出した。
古い床板を伝う振動は、彼の部屋に近づくほど激しくなる。
体重をかけて押しつけるような足音。
重い何かを引きずる音。
「バスティアン?」
ノックにも返事はなく、騒音だけが大きくなる。
その間から漏れる、苦痛に満ちたうめき声——
「バスティアン!」
ためらいなくノブを回したが、扉は中から固く施錠されていた。
どんなに力を込めても、開かない。
「聞こえますか、バスティアン?大丈夫なんですか?」
握った拳が真っ赤になるほど、扉を叩く。
「バスティアン!お願いだから、何か答えてください、バスティアン!」
越えた線
「……大丈夫です」
鍵を探しに踵を返した時、荒い息の混じった返事。
オデットは、ようやくまともに息を吐いた。
「一体どうしたんですか?」
「悪夢を見ただけです。もう大丈夫だから戻ってください」
声は明らかに近くなったのに——バスティアンは、鍵のかかった扉を開けなかった。
——嘘だわ。
飲み込んだ答えが、ため息のように漏れる。
先に一線を引いて、先にその一線を越えた。そんな自分が情けなかった。
それでも、背を向けられなかった。
「ドアを開けてください」
断固とした力を込めて、再び扉を叩き始める。
「早く、バスティアン!」