🌹 本記事は『バスティアン』原作128話をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分は原作の表現を引用しています。
オデットは、フェリアにいた。
バスティアン追ってはこなかった。
逃げた女は、少しずつ光の中へ戻っていく。
フェリアか
バスティアンは、青い夜明けの光の中で目を覚ました。
—— 起床、水、シャワー
軍人として生きた歳月と同じだけ古い、機械のような習慣。
頭上に降り注ぐ水を浴びながらオデットを考えるのも、いつしかその一部になっていた。
——フェリアか。
探偵からの報告を、彼は何度も反芻した。
逃げると予感はしていた。
だが、てっきり妹と共に移民船に乗ると思っていた。
あの女は、犬と旅行カバン一つだけで、一人フェリアへ向かった。
安宿に閉じこもっているあたり、金もろくにないのだろう。
騒ぎを抑えるなら今すぐ連れ戻すべきだった。
——だが……
再会したオデットに寛容な態度を示すには、彼自身にも時間が必要だった。
目と耳の代わりはケラーがしている。
急ぐことはない。
目的のためならどんなことでもする女——その点では、彼と同類だった。
二度もきれいにやられたのだから、今や一枚上手と認めてやるべきかもしれなかった。
オペラ劇場の審査
出勤支度の整った頃、執事のロヴィスが言いにくそうに口を開いた。
ラッツ・オペラ劇場の会員資格審査は、通過が難しそうだ、と。
今回はデメル提督の人脈を頼っていた。
だがオデットの逃走事件で、雰囲気は一変した。
しかし、有力な社交クラブの会員証をすべて集めるという目標の一環にすぎず、オペラ自体に興味はない。
どうせあの女がいなければ、足を運ぶこともないのだから。
一日も早く奥様を連れ戻し誤解を解いては、という執事の進言にはそっけなく微笑み、審査委員で最も影響力のあるジェンダース卿に連絡を、という提督の助言には、きっぱりと話を打ち切った。
部屋を出ると、廊下の窓の向こうでアルデンヌの海が青緑にきらめいていた。
どうかオデットが元気でいてほしい、とバスティアンは心から願った。
この際、心安らかに静養すればいい。
——そうすれば、お腹の中にいる子どもも、健やかに育つだろうから。
冬眠の穴から
オデットは少しずつ、生活の範囲を広げていった。
フェリアに着いてからの数日は、カーテンも雨戸も閉め切った暗い部屋で、冬眠する獣のように眠り続けた。
三日目にようやくカーテンを開け、五日目に通りへ出た。
それができたのは、責任を負うべきマルグレーテがいたから。
——そして、この子も。
今では都心まで散歩に出られる。
追われていないという確信が持てたからだ。
リンゴを買い、亡命時代によく訪れた公園を歩き、日当たりの良いベンチで一息つく。
体力はまだ戻らないが、ベルクを発った時よりずっとましだった。
手袋を脱ぎ、そっと腹に触れてみる。
子どもは、あらゆる逆境の中でも健気に耐え抜いていた。
昼が最も長い夏の日が来る頃には、この腕に抱けるだろう。
その日を思い描いていて、ふと気づく。
いつからか、子どもと共に生きる未来を、当然のこととして受け入れていることに。
バスティアンが正しかった。
この子は、オデットの家族だった。
そして、自分はどうしても家族を捨てられない人間だった。
あの男に瓜二つの子を産み育てる最悪の事態を想定しても、結論は変わらなかった。
——私の、子どもだ。
誰に似ていようと、もう重要ではなかった。
私の体の中で育ち、この世に生まれ、私と共に生きていく。
私の子ども。
それで十分だった。
緩くなった指輪
「お一人ですか?」
立ち上がりかけた時、身なりの整った紳士が声をかけてきた。
「申し訳ございません。夫を待っているところです」
平然と嘘をつく。
吠えるマルグレーテをなだめる手の上に結婚指輪を見つけて、男はようやく引き下がった。
一人になったオデットは、緩くなったその指輪をじっと見つめた。
売り払ったガラクタ全部より値の張る品なのに、手をつけられなかった。
バスティアンに疑われるのを恐れて——逃げ切れたら処分すると決めていたのに、その事実をすっかり忘れていた。
偽りの結婚を誓った指輪に、視線がしばらく留まる。
今頃、クラウヴィッツ少佐夫妻の破局は知れ渡っているだろう。
もしかしたら、離婚状も提出されているかもしれない。
指輪を売るのは、もう少し先にしよう。
札束より、ずっと持ち運びやすいのだから。
オデットは手袋をはめ直し、まだ男がうろつく公園を後にした。
私だけの世界で
オデットは繁華街を散歩した後、宿に戻った。
窓を大きく開けて換気をし、寝具を整えた。
散歩で買ったリンゴを、マルグレーテと分けて食べた。
さほど好きでもなかった果物が、最近は毎日欲しくなった。
子どもの好みなのだろう。
短い昼寝から覚めると、西の空が赤く染まっていた。
バラ色の街に、大聖堂の鐘の音が降り注ぐ。
それは、この街で過ごした幼い頃を思い出させる風景だった。
追放令で故国に帰れなくなった父母は、フェリアに居を構えた。
オデットはその亡命生活の中で生まれ、14歳までここで育った。
ここが故郷のようなものだった。
だから、きっとうまくやれる。
慣れ親しんだ場所だから、きっと根を下ろせるはずだ。
頼る場所もなく子を産み育てるのは容易ではないだろうが、それでも酒とギャンブルに溺れた父と、幼い妹を一人で養った日々より暗くなることはないはずだから。
——もう、私だけの世界で、私だけのための人生を生きる時が来たのだ。
その夜、オデットは初めて、自分だけの未来を思い描いた。
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