🌹 本記事は、『この結婚はどうせうまくいかない』原作第7巻・終章をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分や必要な箇所では、原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
※地名・人名について:本作には現時点で原作小説の公式日本語翻訳版がないため、地名・人名などの固有名詞は原文をもとに当サイトで日本語表記しています。今後、公式日本語版で異なる表記が採用される可能性があります。
終章|風はかつて吹いていた場所へと帰っていく 20
娘は未亡人になった。 腹には、夫の遺した二人の子。
——バレスティナの娘が、そのような姿で一生を送るなど。
再婚相手にふさわしい若者の名を、レオネルが頭の中で数え上げていた、ちょうどその時。
「カッセルが、生きているそうでございます。父上」
イネスは狂ってなどおりませんでした
「……父上。イネスは狂ってなどおりませんでした」
「何だと?」
ちょうど邸宅へ戻ったばかりのレオネル・ヴァレスティナ公爵は、執事に革手袋を渡しながら軽く首を傾げた。
一体全体、藪から棒に何を言い出すのか——そんな顔だった。
ペレスへ発つ前に、せめて哀れな娘の顔を一目だけでも見ておきたい。 そう願う妻オルガを、「……イネスが君の顔を見れば、お腹の子まで流れてしまうよ」と冷酷にも馬車へ押し込み、送り出した。
ところが、とうとう泣き出した妻の声を無視することもできず、結局はなだめすかしながらラ・ボカまで往復する羽目になった。
疲労困憊の道中だった。
相変わらず、彼の性分には心底向いていない役回りである。
それだというのに、今度は息子までが唐突に妙なことを言い出したきり、黙り込んでいる。
忙しなく文字を追う視線を見るに、どうやらルシアーノも、従者からたった今手紙を受け取ったばかりらしい。
だが、息子にどのような事情があろうと、レオネルは概して待たされるということに耐えられない性質だった。 生涯分の忍耐力など、とうに結婚生活ですべて使い果たしてしまったのだ。
——もっとも、もともと大して持ち合わせて生まれたわけでもなかったが。
「妹が何だと?」
しかしルシアーノの方も、それほど我慢強い性格でもない。
今はただ、手紙を読み進めることに夢中だった。
(今や一人しか残っておらぬ息子まで、私を無視するとは……)
ヴァレスティナの娘が、そのような姿で一生を送るなど
カッセルの訃報が届いて以来、レオネルは目に見えてやつれていた。
たった一人の娘は、結婚して間もなく未亡人となった。しかも腹には、夫の遺した二人の子がいる。
カッセルの死によって、その名声はもはや神格化されつつあった。そんな男の子供たちを母親から引き離すことなどできず、かといってイネスが子供を置いて実家へ戻るはずもない。
レオネルは、娘がどれほど凄まじい執念で子供たちを守ってきたかを知っていた。そして何より、イネス自身がカッセルを深く愛していることも。
そのうえエスカランテ公爵夫妻まで、すっかりイネスを実の娘同然に扱っている。フアンなど、「イネスはお前ではなく私に似ている」とまで言い出す始末だった。
(誰かが再婚を勧めたところで、聞く耳も持たないだろう)
だが、生涯未亡人のまま二人の子を育てて終わるなど——ヴァレスティナの娘に、そんな人生を送らせるつもりはない。
そう考えたレオネルは、オルテガの大貴族の子息たちから、娘の再婚相手になりそうな男を頭の中で物色し始めていた。
カッセルが、生きているそうでございます
「……生きているそうでございます。あのエスカランテの奴が」
「何だと?」
「カッセルが、生きているそうでございます。父上」
ちょうどその時、レオネルはグランデス・デ・オルテガの若き子息を頭の中に並べ、イネスの再婚相手を物色していたところだった。
だがそれも、一瞬にしてすべて頭から吹き飛んだ。
レオネルの目が、まん丸に見開かれる。 そして次の瞬間——彼は声を上げて笑い出した。
ルシアーノも、父にならって微笑みながら手紙を差し出した。 公爵が以前、密偵代わりに送り込んでおいた下級士官から届いた報告書だった。
『——ラス・サンディアゴ最南部にて、カッセル・エスカランテ大佐を発見。ビレッサ湾での戦闘中に海へ転落したのち、漂流33日目に意識を取り戻し、34日目にオルテガ軍によって発見されたものと推定。発見時、9名の海賊とともに確認。ガンベラへ遭難したブルゴス軍の残党であり、身代金を目的とした海賊たちによって、大佐は高価な捕虜として手厚い治療を受けていた模様』
密かに自慢の婿としていたカッセルが、よりにもよって海賊の捕虜として発見されたとは。
意識不明だったとはいえ、レオネルは露骨に失望した。
ところが、その直後——。
右腕だけで、四階建ての高さをよじ登った
……(中略)大佐は意識を取り戻すや否や、海賊9名を制圧。全員がオルテガ側に従順な態度を示しており、大佐に拷問を受けた痕跡はなし』
レオネルの顔に、たちまち歓喜が戻った。
(さすがはヴァレスティナの婿だ……)
つい先ほどまで「エスポーサの小僧」扱いしていたことなど忘れたように、満足げに笑う。
……(中略)肩の負傷は深刻であるものの、身体の動きに大きな支障はなし。戦列艦へ移る際には、四階建ての建物に相当する高さの船体を、右腕だけで自力でよじ登った。その光景は水兵たちの間で伝説となっている』
「これは、完全にイカれた奴ではないか」
「まあまあ、続きをお読みください」
このクソちっぽけなバルカの野郎が
……(中略)大佐が転落したビレッサ湾から、発見されたガンベラまでは相当の距離があり、負傷の程度から見ても自然に漂流したとは考え難い。海賊たちの自白により、バルカ中佐が大佐拉致の黒幕であったことが判明』
「……このクソちっぽけなバルカの野郎が!」
「父上」
よりにもよってヴァレスティナの婿を殺そうとした——。
レオネルは、つい先ほど生存を知ったばかりのカッセルを、頭の中でもう一度殺しかねない勢いで怒り出した。
……(中略)バルカ中佐は、エスカランテ大佐の殺害を巡ってブルゴス側と協定を締結。ガンベラの海賊たちも当初から拉致に加担していたが、大佐を殺すより生かしておく方が高値になると判断し、途中で離反した模様』
「どうなってやがる! 同じオルテガの人間でありながら、ラ・マンチャの奴らにも劣る下衆ではないか。このクソ溜めみたいなバルカの野郎を、俺が今すぐ——」
「最後までお読みください、父上」
嬉しそうには見えなかった
副官が艦船五隻を率いてカッセルを救出すると、バルカはその手続きを問題視し、配下の将校たちを反乱などの罪で即決処分しようとした。
だが、帰還途中ですでに海賊たちはバルカとの協定を自白していた。
『エスカランテ大佐は海賊たちを全将兵の前で証言させ、拉致および殺害未遂を明らかにした。これによりバルカ中佐に、上官殺害、反逆、利敵行為、内通の容疑を適用。
——その後、両名の間で短い会話が交わされる。内容は聞き取れず。会話の終わりにバルカ中佐は、自らすべての容疑を認めると宣言。嬉しそうには見えなかった』
「『嬉しそうには見えなかった』? そんなことまで正式な報告に書く奴があるか!」
「その下です」
『その直後、エスカランテ大佐がバルカ中佐を銃殺。死後、二等兵へ降格。以下、『バルカ二等兵』と呼称する。
——遺体は軍法に従い、故郷サルタへ帰還する資格を失った』
バルカ二等兵、だと
レオネルは驚いた。
かつての上官であり、大貴族でもあるバルカ侯爵を、カッセルは身分も家格も意に介さず軍法で裁いた。そればかりか、死後にはその軍歴まで奪い去ったのだ。
「……生涯を海軍に捧げてきたバルカを、一瞬にして二等兵へ叩き落としたということか」
「本人にとっては、銃殺以上の刑罰だったでしょうね」
生前には相応の礼遇を約束しながら、死後には「詐欺師との約束を守る必要などない」と降格させたという。カッセルはバルカを殺しただけではない。その男が生涯をかけて築いたものまで、まとめて奪ったのだ。
「もしや、やり過ぎだとお考えでしょうか?」
「いや。正当だ。ただ、あの男がここまでやるとは思っていなかった」
「ただ『正当』というだけには見えませんが。父上」
レオネルは、込み上げる笑みを隠せなかった。
(『バルカ二等兵』だと)
あれほど高潔な海軍軍人を気取っていた男が、今や先祖代々の墓所へ葬られることすら許されない。しかもカッセル殺害に関わっていたのなら、姪のアリシアとも何らかの密約があったのだろう。
だが、そのアリシアもすでに皇后の掌中にある。
すべて、もう終わったことだった。
父上は永遠にカッセル・エスカランテには勝てませんよ
「お気に召したのなら、素直に気に入ったとおっしゃってください」
ルシアーノは、イネスも父が夫を認めてくれないことを、内心では寂しがっていたのだと告げた。
「……ふん。必要な時には無慈悲になれるところは気に入ったがな。だが今度戻ってきたら、首輪をつけてでもお前の妹の傍に座らせておかねばならん。また死んだなどという報せが届いてみろ」
「どうなさるおつもりですか? イネスが黙って見過ごすはずもありませんのに」
「……」
「父上は永遠にカッセル・エスカランテには勝てませんよ」
娘に勝てない以上、その夫にも勝てない——そういうことだった。
レオネルは不満げに眉をひそめたものの、やがて諦めたように歩き出した。
どうせ引き離せる二人でもないのですから
「……どう考えても、お前の妹はどこかしら正気ではない。あの状況でカッセルが生きていると信じていたのだからな」
「実際、生きていたではありませんか」
「だからだ。あの状況で生き延びている奴も正常ではない。双方揃ってまともではないところが似合いだ」
「互いに好きで好きでたまらないのですから、何よりではありませんか」
「病気だ、病気。あの馬鹿な婿が、うちのイネスをすっかり駄目にしてしまった……」
不平を漏らしながら階段を上るレオネルだったが、その足取りは朝とは比べものにならないほど軽くなっていた。
「……ところで、まさかあの男の肩が不具になったりはしておらんだろうな?」
「そうだとしても、イネスが自分でどうにかするでしょう。どうせ引き離せる二人でもないのですから」
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