🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、原作をもとに、物語の流れと人物心理を整理しています。会話部分は原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
わずか一歩の隔たりを、彼女は縮めなかった。
分かれ道まで、届きそうで届かない距離のまま。
——未熟だったあの時の私を、許してくれますか?
犠牲者の影から自ら出て謝罪した女と、
「お互いを許し、和解しましょう」と手を握り返した男。
振り返らずに丘を越えていくドレスの裾は、翼のようだった。
——自分がつけた翼だと思うと、泣きそうな笑みがこみ上げた。
去っていく女は一度も振り返らず、
残った男は、橋の上でついに振り返った。
一歩の隔たり
トランクを持ったバスティアンが先に立ち、オデットがその後を追う。
わずか一歩の隔たり。
その気になればいくらでも縮められる距離を、オデットは届きそうで届かないまま保った。
今日はアルマのレッスンの日。
時間には十分な余裕があったが、車の待つ村の入り口まで同行するつもりはなかった。
去っていくバスティアンの足取りを重くしたくない。
この瞬間を、悲しみとして残したくもなかった。
——穏やかな日常の一コマのように別れたかった。
始まりがめちゃくちゃで、共に過ごした時間のほとんどが傷と後悔で汚れていたとしても。
せめて最後の瞬間だけは、6月の日差しのように美しかったと振り返れるように。
分かれ道が近づくにつれ、オデットの足取りは遅くなった。
広がりかけた二人の距離は、ほどなくしてまた縮まる。
バスティアンが歩みを緩めてくれたからだった。
それでも彼は、最後まで振り返らない。
無情でありながら優しい後ろ姿。
決して良かったとは言いきれない日々だった。
それでも、確かにきらめく瞬間があった。
——もう、その光でバスティアンを記憶できる。
恥ずかしさも曇りもない心で。
「未熟だったあの時の私を、許してくれますか?」
分かれ道で、オデットは足を止めた。
家を出てから初めて、二人は向かい合った。
「私はもう、こちらへ行かなければなりません」
丘の向こうへ続く道を指すオデットに、バスティアンは将校帽を脱いで近づいた。
「ごめんなさい、バスティアン。あのような形であなたを裏切ったのは、弁解の余地もない過ちでした」
「その件については、もう十分に謝罪なさったのでは?」
「いいえ。何について謝るべきか、あの時の私はきちんと分かっていませんでした。ただ、窮地から抜け出すことばかりに必死だったのです。」
その後は、謝罪も許しも無意味になったと自分に言い聞かせ、ずっと逃げてきた。
——バスティアンが犯した過ちの影に隠れていれば、自分は哀れな犠牲者でいられる。
そのことを、無意識のうちに知っていた。
懸命に隠してきた自分の恥部を、オデットは自らさらけ出した。
もう一度目を閉じればいい。
そうすれば、すべての責任を彼に押しつけたまま終わることもできる。
けれど、心の借りを残して背を向ければ、きっと一生後悔する。
——『目を閉じるな』
自分を守る方法を教えてくれた男の助言を、もう一度心に刻む。
「あなたに傷と苦痛を与えてしまって、ごめんなさい。未熟だったあの時の私を、許してくれますか?」
「では、レディ・オデットも、私を許してくださいますか?」
子供たちが小川へ飛び込む水音が、静かな朝を揺らした。
「はい。そうします」
「では、お互いを許し、和解することにしましょう」
明るく微笑んだオデットが手を差し出す。
一瞬遅れてその意味を悟ったバスティアンが、無防備に笑う。
そして、その手を握り返した。
力強く握り合った二人の手に、柳の葉越しの日差しが降り注いだ。
「もう悪夢から目覚めてください」
「バスティアン」
——もう、二度とこの声で名前を呼ばれることはない。
そう悟った男の眼差しが、わずかに揺れた。
「あなたは私を台無しになんてしていません」
オデットが笑う。
「赤ちゃんとマルグレーテのことも、あなたのせいではありません」
身に染みるほど美しく微笑んだ
「あなたを恨んだのは、私の本心ではありませんでした。だからバスティアン、もう悪夢から目覚めてください。そうしてもいいのです」
バスティアンは、喉元までこみ上げた熱い塊を飲み込んで、頷いた。
オデットの手が離れる。
砂のように手のひらからこぼれ落ちていく彼女を、引き留めることはできなかった。
もう限界だった。小さな仕草一つで、崩れ落ちてしまいそうだった。
——もしかしたら、それを望んでいるのかもしれなかった。
「私は過去を忘れて、元気に生きていきます。だから、あなたもそうしてくれたら嬉しいです」
——愛している。
——君を愛している。
声を上げて、泣き叫んででもすがりつきたかった。
その衝動がこみ上げた瞬間——
「さようなら。お元気で、バスティアン」
一歩下がったオデットが、そっと頭を下げた。
皇女が台無しにしたワルツを締めくくった、あの舞踏会の夜のように。
毅然として優雅に。
彼を魅了した、誇り高き女王のように。
丁寧な頼みなのか。
傲慢な命令なのか。
どちらであっても、拒む道などなかった。
バスティアンもまた本来の表情を取り戻し、静かに頭を下げた。
振り返らない贈り物
オデットは踵を返した。
日差しに満ちた道を、前へ進む。
背中に届く視線を感じても、振り返らない。
頭をまっすぐに立て、ただ前へ。
——それが、バスティアンに贈ることができる唯一の贈り物だった。
夫が去った水曜日。
空がまぶしかった。
あまりに美しくて、心が切なくなる日だった。
橋の上で
オデットは、空高く舞い上がる鳥のように去っていった。
新しい始まりに向かって。
一片の未練もないように。
バスティアンも踵を返し、トランクを持ち上げた。
残された時間はあと10分。
歩みを速める。
——これですべて終わった。
そう思った。
けれど、小川にかかった橋の上で、その足が止まった。
胸が痛かった。
息ができなかった。
生身が引き裂かれ、骨まで砕けるようだった。
——この苦痛は、嘘だ。
何度そう言い聞かせても、消えなかった。
死力を尽くして再び歩き出し、数歩でまた止まる。
磨かれた靴先に反射した光が、血走った目を突き刺した。
帽子とトランクを握る手が震える。
道に迷った子供のような顔で遠い空を見つめ——
バスティアンは、ついに後ろを振り返った。
オデットは、もう丘の中腹を過ぎていた。
風にひらひらとなびく白いドレスの裾が、まるで翼のようだった。
目がくらむほど美しかった。
——自分がつけた翼だと思うと、泣きそうな笑みがこみ上げた。
オデットは一度も振り返らなかった。
そうしてそのまま、丘の向こうへ消えていく。
それでもバスティアンは、その場を動かなかった。
長く長く、その場に留まった。
苦痛が悲しみになり、
その悲しみが、ついに喜びに変わるまで。
——僕が台無しにして、僕が守った、僕のオデット。
その一つの意味だけを心に留めて、彼は再び踵を返した。
トロサ諸島へ
九時十分。
約束の時間は、すでに過ぎていた。
バスティアンは将校帽をかぶり、彼を探しに来た海軍省の将校たちに短く謝罪を告げると、軍用車へ向かった。
クラウヴィッツ少佐を乗せた車は、ロスヴァイン郊外の村を後にした。
そして二日後の金曜日。
特別訓練のためプラター川で待機していたベルク海軍の主力艦隊が、トロサ諸島へ出航した。
指揮官は——
北海の英雄、バスティアン・クラウヴィッツだった。