泥の中の愛㉟|143話 砕け散った砂金片一つ ─ 燃える額と、明かされた過去

バスティアン|泥の中の愛㉟|143話 砕け散った砂金片一つ ─ 燃える額と、明かされた過去 原作本編

🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。会話部分は原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。

背中から伝わる温もりで、彼が帰ってきたと分かった。

だが、その夜。
オデットが触れた額は、戸惑うほどに熱かった。

光として記憶されたかった

バスティアンへの感情は、いつも矛盾していた。

来てくれて嬉しかった分だけ、自分が憎かった。

光が眩しいほど、影もまた濃くなるように。
あの春の午後から、彼は眩しく、胸は痛み続けていた。

太陽のようだと思った。
自らの力で誰よりも燦然と輝く男。

彼の前で、オデットは初めて自分の人生に差す陰を実感した。

そうして見事に拒絶されて帰る道の上で、決めたのだ。

――ならば、砕け散った砂金片一つになってでも、心を貫こう。
彼の光の中でだけでも、一瞬きらめけるように。

叶わない願いでも構わなかった。
少なくともあの男にとってだけは、光として記憶されたかった。

惨めで恥ずかしくても、止められない心だった。
もしかしたら、破局に至った今でも、まだ。

冷や汗に濡れた顔

眠れないまま目を開けた夜、マルグレーテが騒ぎ始めた。

眠るバスティアンのそばで吠える犬を慌てて抱き上げ――そこで、気づいた。
彼はコートも脱がず、倒れ込むように横たわっていた。

酒の匂いはない。

「……バスティアン?」

明かりに照らされた顔は血の気なく、冷や汗に濡れ、息は速く荒かった。
揺さぶると熱い手が手首を掴み、開いた目は焦点なく虚ろに――目を開けたまま眠っているかのようだった。

そっと触れた額は、人の体温がここまで上がるのかと戸惑うほど熱かった。

オデットは、ベルの紐に手を伸ばした。
慌ただしい呼び出しの音が、夜明けの邸宅を揺らし始めた。

紳士の誇り

「申し訳ありませんが、再考の余地はございません」

マクシミリアンは、電話口で最後通告を告げていた。

送年パーティーで、闇市場から流れた雑誌を肴に「貧乏公女」を嘲る者がいた。
マクシミリアンはその雑誌を暖炉へ投げ込み、関係者の除名を求めた。

寛容を求める電話は鳴りやまない。
社交界と敵対するつもりか、一体誰の味方だ、と。

「私はただ、人としての道理と紳士の誇りを守ろうとしているだけです」

通話を切ると、新調したドレスのアルマが駆け込んできた。
今日のパーティーでクラウヴィッツ夫人に会える? どうして会えないの?――しょげる娘に答えを探しあぐねていた時、再び電話が鳴った。

予期せぬ声だった。

「私です、ジェンダース伯爵。オデットの件で相談したいことがあるのですが」

——トリエ伯爵夫人だった。

今夜が峠

最悪の事態はまぬがれた。

蓄積された疲労に、刺し傷の炎症が重なって状態が悪化したのだ。
それでも体力に恵まれたおかげか、壊死もない。
今夜熱が上がらなければ回復に向かうだろう。

クラーマー博士の説明を、オデットはバスティアンを見つめたまま聞いていた。

「とてもつらかったでしょうに。なぜ何でもないような顔をしていたのでしょう?」

もとから自分の体を顧みない人だった。
それでも、ここまで愚かではなかった。よほど気が急いていたのだろう――意識のないバスティアンを見つめる博士の目頭が、赤く染まっていく。

そして、抑えていた感情とともに、その言葉がこぼれた。

明かされた過去

「母と弟の命を奪った女の息子が、今度は妻と子を害そうとしたのだから、冷静になるのは難しかったのでしょう。一日も早く復讐を終わらせようと躍起になったのも無理はありません」

「それは……どういう意味ですか?」

こわばった唇で問い返すオデットに、博士はきょとんとした顔を向けた。

バスティアンの母と、弟。
その命を奪ったのは――テオドラ・クラウヴィッツ!

「まさか、全くご存じなかったのですか?」

震える唇は、何も答えられなかった。
失言を詫びて逃げるように立ち上がる博士を、オデットは慌てて引き止める。

「お待ちください、博士!」

窓の外、空と海は黄昏に染まり始めていた。
振り返った博士の眼差しは、夕暮れの海のように深く沈んでいた。

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