バスティアン原作|ロスバイン最後の七日間③|ドアの向こう、彼は彼女を手放した【ネタバレ】

バスティアン ロスバイン③ 彼は彼女を手放した バスティアン

前回までのあらすじ

曇り空の下のピクニック、破裂したシャンパン、水車小屋に閉じ込められた二人。

「嫌でも我慢してください。もういくらも残っていないだろう」——その言葉の重さを抱えたまま、バスティアンはオデットの家へ戻っていった。


適正な一線

雨はその夜から翌朝まで降り続いた。
風邪薬を飲んで早めに床に就いたオデットは、翌朝、いつもより遅い時間に起きてきた。

オデットは階段を自分で降りようとします。
バスティアンは手を貸さず、道を譲りました。
オデットが引いた一線を、彼は黙って守った。

台所で二人は朝食の準備をします。
ジャガイモの皮をむくバスティアンの手つきは、剣術の名手とは思えないほど不器用で、剥き終えた皮は、ジャガイモの半分ほどもありました。

オデットはフッと笑いながら言いました。

「剣術にも長けているというのは、
どうやらただの噂だったようですね」

「包丁でジャガイモを相手にしたことはなかったので」

朝食のテーブルには、コーヒーと紅茶が一杯ずつ置かれた。
バスティアンが「俺は紅茶を飲む」と言ったからでした。
オデットが引いた一線を、バスティアンは静かに越えてきた。


雨の一日は穏やかに過ぎていく。

オデットは応接間の窓辺でレースを編み、バスティアンは向かいの席で本を読んでいた。

いつの間にかオデットは眠ってしまいました。
気づいた時には毛布がかかっていた。

バスティアンもまた椅子に座ったまま眠っていた。
窓の外が暗くなった分だけ鮮明になった明かりが、やつれた顔の輪郭を際立たせていた。

一緒に昼寝をする日曜日の午後。

二人の間に存在し得るとは思わなかった、穏やかな時間でした。

深夜の物音

日付が変わった頃、激しい物音でオデットは目を覚ましました。
音は、バスティアンが泊まっている部屋から聞こえてきた。

体重をかけて押しつけるような足音。
重い何かを引きずる音。
そして苦痛に満ちたうめき声。

異変を感じたオデットは慌ててドアを叩きます。
しかし返事はなく、ドアは内側から鍵がかけられていました。

「聞こえますか? 大丈夫なんですか?」

拳が赤くなるほど叩き続けた末、ようやく荒い息混じりの声が返ってきます。

「大丈夫です」

安堵する間もなく、オデットは問い返しました。
「一体どうしたんですか?」

「悪夢を見た。もう大丈夫だから戻ってください」

声はすぐ近くにあるのに、ドアは最後まで開かない。

「少しだけ顔を見せてください。大丈夫だと確認できたら戻ります」

すると、途切れそうな声が返ってきました。

「オデット、頼むから……」

最後まで言い切れない懇願だけが、闇に沈んだ虚空へと散っていった。

バスティアン, 鍵のかかったドア
愛しい僕のオデット

ドアの内側で、バスティアンは体温で熱くなったドアノブを力いっぱい掴んだまま、
目を閉じていた。

血のついた縄。
窓辺まで引きずられたベッド。

幼少期、実父から受けた虐待が残した夢遊病の発作は、
大人になった今も彼を苦しめていました。

小花柄の布団は、ぐちゃぐちゃになって床に投げ捨てられていた。

ドアに鍵をかけ、背を向け、目を閉じてもオデットが見えた。

赤く染まった目元に縁取られた青緑色の瞳。
流すこともできずに溜まっている透明な涙と震える唇。
泣き方さえ知らずに生きてきた——だからこそ、一層胸に迫るほどに悲しく、美しい顔。

「オデット……愛しい僕のオデット」(引用:原作177話)

バスティアンは、残された可能性を必死に計算していた。

もし今このドアを開けてしまえば、オデットはきっと彼を許してしまう。
そうすれば、もう一度やり直せるかもしれなかった。

けれど、その先に待っているのは戦場だった。
生還を約束できない死地へ向かう自分に、彼女の未来を賭けさせることなどできるだろうか。

「大丈夫ですか、バスティアン?」

再び聞こえてきたオデットの声が、最後の未練を断ち切りました。

もし今このドアを開け、自分の傷も弱さもすべて見せれば——オデットはきっと彼を見捨てられない。

彼女が弱いのは、同情ではありませんでした。
傷ついたものを、どうしても放っておけないこと。

「完全に支配できる最も優れた武器。それは、他ならぬ自分自身だった。」
(引用:原作177話)

その事実を理解した瞬間、バスティアンはようやく決断します。

この方法で彼女を繋ぎ止めることだけは、してはいけない。

オデットは言っていた。

——「また傷ついたら、もう耐えられない」

その気持ちを、バスティアンは今、完全に理解できるような気がした。

冷酷に見えるが非情にはなれず、孤独な分、情が深い女だった。

だからこそ、逃げなければならなかったのだろう。
哀れになった自分を見れば、彼女はまた心を揺らしてしまう。
そして再び苦痛の鉄格子の中へ戻ることになる——それを、彼女は知っていたのだ。

この地獄に、君を再び閉じ込めることはない

「君に犯した過ちが、悪夢となって現れる。それが僕を苦しめる」(引用:原作177話)

バスティアンは静かに目を閉じたまま、冷静な嘘をつきました。

「僕が君に与えられるのは、結局、傷だけだ」

「ドアを開けてください、バスティアン。私を見て話してください」

「いや。君を見たら、また悪夢を見るような気がする」

バスティアンは、謝罪と愛だけで過去を消せると思っていた自分の甘さを認めるしかなかった。
自分たちは互いの傷であり、このままでは再び傷つけ合うだけだと。

「だから、もうやめよう」

「バスティアン……」

「約束は守る。もう僕の気持ちも、ほとんど整理がついたから」

ようやくドアノブから手を離したオデットが、
ためらいながら後ずさる音が聞こえてきた。

「この地獄に、君を再び閉じ込めることはない」(引用:原作177話)

もう一度決意を固めたバスティアンは、
袖を下ろして傷を隠し、縄を解いてトランクの奥深くに隠しました。

ベッドを元の場所に戻し、布団を整えた。
最後に睡眠薬を飲み込んでから、床に就いた。

薬が効いて眠りにつく頃、静かに部屋の前を立ち去るオデットの足音が聞こえてきました。


翌朝、バスティアンは自転車を借りてオデットを迎えに来ました。
まだ足首が治っていないオデットのために。
昨夜のことなど何もなかったように、平然と後部座席を指し示して。

「今すぐ出発しないと、遅刻ですよ、姉さん」

オデットは甲高い悲鳴を上げながら、彼の腰にしがみつく。

自転車は夏の風景の中を走り始めました。


残された時間は、少しずつ削られていく。
その夜、ドアの内側で何があったのか、オデットは知らない。

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