泥の中の愛㊴|147話 甘くてほろ苦い ─ 幻想曲のトリルと、初めての胎動

バスティアン|泥の中の愛㊴|147話 甘くてほろ苦い ─ 幻想曲のトリルと、初めての胎動 原作本編

🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。会話部分は原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。

傷ついた犬と、病人二人だけの誕生日。

奇妙な晩餐に流れ始めたのは、
あの春の午後の、幻想曲だった。

奇妙な晩餐

患者用の流動食の間に置かれた豪華なケーキ。

ひどく異質な食卓を前に、オデットは罰を受けているような気分で義務的に食事を進めていた。

スープが半分ほど減った頃、
バスティアンが席を立ち、蓄音機にレコードをかけた。

——オデットが大切にしている、あのレコードだった。

ラインフェルトホテルのラウンジで聴いた幻想曲。

感傷的な音楽は好みではなかった。

それでもあの春の午後の旋律の残像が消えず、契約結婚の最初の給料でこのレコードを買った。
ピアノの許可をもらって最初に買った楽譜も、この曲だった。

「……トリル」

低い声が、儚くも美しい旋律に流れ込む。

あの夜、彼にトリルを教えた時に弾いた。
この曲のこの部分——水面のさざ波を表現した旋律だった。

「ええ、そうです」

暖炉の炎が、やつれた彼の顔に濃い陰影を落としている。
互いを見つめ合ううちに、幻想曲は最終楽章に入った。

虚しい期待を抱かせ、そして傷つけた。
それでも忘れられない美しい嘘の瞬間が、青いアヤメの上に浮かび上がっては消えていった。

本心を見せなければ傷つくこともない——その信念はいまだ有効で、オデットは今ならわかる気がした。
自分たちが、あれほど互いを傷つけた理由が。

繰り返したくない過ちだった。

役目を終えた共犯者

意を決したオデットが口を開きかけた時、ワンワンと吠える声が響いた。

バスティアンの足元で、マルグレーテが跳ねて愛嬌を振りまいている。
目的の明白な行動だった。
彼はパンを小さくちぎり、椅子の下に置いてやる。

「だめよ、バスティアン。そんなことをしたら、行儀が悪くなります」

犬をしつけるのと変わらない態度で諭され、
役目を終えて見捨てられた男は、素直に残りのパンを置いた。

病人二人と傷ついた犬の誕生日祝い。

改めて自覚すると虚脱感が笑いになったが、
過労で寝込む情けなさと引き換えに得た安息は、甘美だった。

「ローザンヌへ行ってください、オデット。そこに別荘があります。
子供を産むまではそこで過ごすといい」

暖かな南の海が見える家。
彼女が新しい人生を始めたいと願った、その条件に最も合う場所。

責任を果たす最後の一歩に集中すべき今。
オデットと子どもを、新しい人生の出発点に立てるその日まで、この地獄から遠ざけておかなければならなかった。

泥沼のような自分の人生がこれ以上この女を汚さないように。

気に入らなければ、新しい場所を探せばいい。
オデットの心を変えられるまで。
何度でも。

「バスティアン、私は——」

デザートの到着を告げる声が、震える声をかき消した。

彼はその幸運を、拒まなかった。

こんにちは、赤ちゃん

祝いの席は、主治医の判断で夜が更ける前に幕を閉じた。
疲れている状態で無理をしていたことを、オデットはそこでようやく悟った。

薬を飲んで眠ったバスティアンの顔を拭きながら、オデットは願う。
この子がどうか、こんな愚かな忍耐力は似ないでくれますように、と。

片付けの終わった部屋には、アヤメの花瓶とチョコレートの箱だけが残されていた。
ドーラの意図は、明白だった。

——バスティアンからのプレゼント。実は、初めて見た瞬間から気づいていた。

ためらいの末に箱を開けると、甘い匂いに唾液が湧いた。
子供が望んでいるのだと思うと、無視できなかった。

金色の包み紙を剥がす音、小さくかじる音が、夜の闇に染みていく。
生まれて初めて味わうように、甘くてほろ苦い風味を、彼女は慎重に堪能した。

二つ目に手をつけた時、腹の中に微かな震えを感じた。

突然怖くなって腹を抱えた。

痛みとは、違う。
蝶の羽ばたきのような動き。
ティラのお腹で踊っていた子と同じものだった。

「……こんにちは、赤ちゃん」

潤んだ声の、ぎこちない挨拶。
否定し、傷つけようとした時間への和解を求めるように。

子供は、愛らしいしぐさで応えてくれた。

張り裂けそうだった痛みの記憶が、こみ上げる幸せに変わる。
オデットは慌てて、次のチョコレートを手に取った。

闇の中の目撃者

バスティアンは、闇の一部のように静かな眼差しで、その光景を見つめていた。

濡れタオルが額に触れた頃には目覚めていたが、気づかないふりをした。
この平穏を壊したくなかった。

情けない未練だった。

積もっていく金色の包み紙。
腹をさする白い手。
花のように微笑むオデット。

そして——「赤ちゃん」。

その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
息を潜め、腹の中の子と話す彼女を、彼はただ見つめていた。

重なる手

真夜中前、オデットはベッドに横になった。
彼に背を向けたまま。

それに気づいたバスティアンの口元に、自嘲がよぎる。
それでも捨てられない未練は、彼女に残るチョコレートの香りのように、甘くほろ苦かった。

結局、彼は体をひるがえした。
背中越しに寄り添い、脚が一本に絡み合った。

最後に腰を抱きしめたバスティアンは、
こんもりと膨らんだお腹の上にそっと手を置いた。

温かかった。
しかしそれだけだった。

下へ、横へ、また上へ。
指先に感覚を集中させて子供の気配を探した。

もう諦めようとした、その時。

手の甲を、ひんやりと柔らかな体温が覆った。

静かなため息をついたオデットが、彼の手を、包み込むように握った。

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