📖 作品の読み方はこちら→ 泣いてみろ、乞うてもいい ガイド
🌹 本記事は『泣いてみろ、乞うてもいい』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。本文中の会話・心理描写・印象的な表現については、原作の表現を適宜引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
別の女のような、あの笑顔
何気なく目を向けた窓の向こうに、レイラを見た。
普段より気を遣ってお洒落をした姿で、同じ年頃の女性たちと繁華街を歩いていた。
中には見慣れた顔も一人——遠足に来ていたグレバーという教師。
目に見えて痩せてはいたが、表情はかなり明るく穏やかだった。
にこにことよく笑い、よく喋っていた。
最近彼に見せる姿とは全く異なり、
まるで別の女性を見ている気持ちにさえなった。
車が通りを過ぎ、
レイラが視界から消えた後も、マティアスはしばらく窓を見つめていた。
今にも死にそうな姿でぐずぐずしていないのは、幸いと言うべきか。
安堵すると同時に、妙に不快でもあった。
手当たり次第に、踏み躙られる
過ぎた数週間、マティアスが見たレイラは一貫して無気力だった。
退屈な業務を処理する人のような無味乾燥な顔で別邸を訪れては、
自ら服を脱ぎ、静かにベッドの端に座った。
擦れっからしの女のように振る舞いながらも、
マティアスが近づくと恐れと焦燥を隠せなかった。
手切れ金を受け取った女のように扱われたいのなら、そうしてやればいい。
自ら望んだことなのだから、いくらでも。
——しかし時折マティアスは、
レイラをぞんざいに扱い、侮辱すればするほど、逆に自分自身が手当たり次第に踏み躙られているかのような気持ちを味わうのだった。
人形のように振る舞う女の顔が、苦痛と羞恥で歪むと気が済んだ。
少なくとも、彼を見えない幽霊のように扱うことはできていない証拠だから。
だからこそ、さらに執拗に苦しめ、泣かせた。
苦痛と羞恥で顔が歪む間だけは、満たされた。
だが、それも長くは続かなかった。
レイラがぐったりと大人しくなると、
手に入れた女をどうにもできず、マティアスは途方に暮れた。
なぜお前は、敢えてわたしを
冷たく澄んだ怒りが限界に達するとき、
ラッツに薔薇が満開だった昨年の晩春の夜が浮かび上がった。
レイラ・ルウェリンがカイル・エトマンと結婚することになったという知らせを聞いた、
生まれて初めて人を殺したくなったあの夜。
——もしかしたら殺したかったのは医者の息子ではなく、この女だったのではないか。
背中を向けてうずくまるレイラを見るたびに、マティアスはそう考えた。
それでも、また呼び出さずにはいられなかった。
木の塊のように硬直して震えるだけの女なのに、
レイラは案の定、彼を狂わせた。
この種の欲望を人生の優先順位に置いたことも、
それに振り回されたこともないマティアスには当惑することだった。
——けれど、確かにそうだった。
「あの……旦那様?」
呼びかけに顔を向けると、開いた車のドアと随行員が見えた。
ロビーの外まで出迎えた重役たちを前に、マティアスはふと顔を向け、
日差しで満たされた通りを見下ろした。
笑顔のレイラがその道を通るはずがないことを、既に知っていながらも。
短い自嘲で未練を断ち切り、
いつもの落ち着いた微笑で再び足を踏み出した。
ビル・レマーが去った
ビル・レマーが去った。
大きな旅行鞄を持って、まるで戦場へ向かう兵士のように悲壮な足取りで。
爆発で壊れた温室のガラス壁は復旧したが、その間の真冬の寒さで大部分の植物が枯れた。
珍しい品種が多かったため、再び手に入れるのは簡単ではなかった。
帝国の名だたる園芸家や植物園、貴族の温室を訪ね歩く仕事だった。
昼夜を問わず働く彼が心配だったが、
ビルおじさんは、むしろそうやってでも罪を償えることに心が安らいでいると言った。
その言葉が嘘でないことは、表情を見ただけで分かった。
「寒いぞ、レイラ! 中に入りなさい」
角を曲がりかけたビルが、振り返って大声で叫んだ。
レイラは、頷きながらもすぐに足を踏み出せなかった。
少なくとも数週間。
その長い時間をアルヴィスで一人で過ごすことを考えると、目の前が真っ暗になった。
いっそビルおじさんと一緒に旅立ちたかった。
その言葉がどれほど変に、怪しげに聞こえるか分かっているため、口には出せなかった。
一団が去った道の上に、レイラはぽつんと残された。
どうせ何のこともない
がらんとした道を見つめるレイラをハッとさせたのは、
道の向こうから聞こえてきた自動車の音だった。
慌てて振り返って急ぎ足を踏んだが、走行する車の速度に勝てるはずがない。
黒い車が道端のレイラを通り過ぎていった。
両手を固く握り締めたまま、車がアルヴィスへ消えるまで待つ。
——どうせ何のこともない。
胸が高鳴るのと同じだけ、切実に繰り返した。
ビルおじさんの不在は、公爵とは何の関係もないと。
家を掃除し、アイロンがけを終えると、心がひときわ穏やかになった。
最近は、こうした些細な日常が一番の慰めだった。
何事もなく生活が続いていると思えると、
あの男一人くらいは何でもないことだと思えたから。
——恐らく結婚前には私を捨てるだろう。
クロディーヌと並んで立つマティアスを見た日に、レイラは思った。
二人はまるで互いのために存在する人々のように良く似合っていた。
公爵がクロディーヌをどれほど大切に思い配慮しているか、遠目からでもはっきりと感じられた。
あの日、レイラは二人の目に留まらないよう遠回りをして小屋へ戻った。
気候が冷たかったせいか、長い間両頬が赤くなっていた。
時限つきの苦痛
フィービーが窓際に止まったのは、
レイラが机の前に座ろうとした時だった。
普段より遥かに早い時間なのに、あの男はためらいなく呼びつけた。
手紙を細かく引き裂いて暖炉に放り込み、家畜の夕食を用意して戸締りをする。
急ぎもせず躊躇もしない足取りで別邸へ向かう間、
レイラは習慣のように公爵の手から逃れた後の人生を考えた。
——ビルおじさんと一緒に遠い街へ旅立とう。
いつの日か熱帯の島や氷の国に住む鳥たちを探して旅をし、またいつの日か、小さな花壇を作れる家を飾り、そして……
止まった思考の糸を繋ごうとする間に、
別邸が見える道に差しかかった。
夕焼けが映る川辺の風景が美しかった。
レイラはもうそれだけを考えることにした。
——どうせ時限つきなら、苦痛も何のことはない。
耐え忍ぶことは、幼い頃から数えきれないほど繰り返し、もう慣れっこになっていることだから。
決意を固め、大股で歩くレイラの後ろに、華奢な影が長く伸びていた。
透明人間
まだ日が沈んでいない点を除けば、別邸の寝室の風景はいつもと変わりなかった。
大きなベッド。灯りが漏れる暖炉。優雅な家具。そして丸裸の女。
今やこの部屋の一部のように感じられる小さな体をちらりと見た視線を、
マティアスはすぐに膝の上の書類へ戻した。
海外領土の鉱山採掘権と油田に関する報告書を読み進めていく。
時折ベッドの端に座る女の裸身を見ては、また何事もないかのように仕事に集中する。
それを繰り返した。
いつもの呻き声や嬌声の代わりに、
寝室は薪の燃える音と、紙がひらひらと揺れる平和な音だけで満たされていた。
レイラがぼんやり足元を見ていた目をそっと上げたのは、
濃くなった闇が夕焼けの余韻をすべて消した後だった。
普段なら大股で近づいて欲を満たすはずの公爵が、
今日はどういうわけかレイラを透明人間のように扱った。
乾いた唾を飲み込み、垂らしていた腕を上げて鳥肌の立った胸を覆う。
横目で見た公爵は、依然として書類だけを読み進めていた。
何かをメモした公爵が分厚い書類を置いた瞬間、二人の目が合った。
レイラは肩をすくめて急いで頭を垂れる。
遅れて心を変えたのか、公爵が立ち上がると、おかしなことに少しの安堵さえ覚えた。
一刻も早くあの苦痛を経験して、彼の元を去ることができるのだから。
しかしマティアスはレイラには近づかず、寝室を出ていった。
半開きのドアの向こうから、仕事の電話をする低い声が聞こえてきた。
今、一体何をしていらっしゃるのですか?
戻ってきた公爵と再び目が合ったが、彼は反応を示さなかった。
展示された芸術品を鑑賞するような、淡々とした喜びを含んだ視線で見下ろしてから、
何事もないかのように椅子に戻る。
長い足をオットマンに乗せた気怠い姿勢で、別の書類を取り上げた。
紙をめくる音の間から、ワルツの旋律が微かに聞こえてきた。
応接室の蓄音機の音だと知って、レイラの眼が揺れた。
「一体、これは何なの……」
ひどく顔を顰めたレイラは、脱いで置いた眼鏡を探してかけた。
ペンを回しながら書類を読んでいた公爵の視線が、そんなレイラに向けられた。
眼鏡をかけても、相変わらずその顔から表情は読み取れない。
ただ、今のこの現実だけが鮮明になり、
そうなると突如、自分の姿がたまらなく恥ずかしくなった。
頬を赤らめて慌てふためいたレイラは、急いで下着を探して着けた。
ちらちらと彼を見ながら、一つ、また一つ。
自らの手で脱いだ服を着ていくほどに、頬は赤くなる。
——丸裸でいる時はあれほど超然としていたのに、
服を着た途端、どうしていいか分からなくなるとは。
マティアスがワルツのリズムに合わせて指先で書類を叩く間に、
全身を赤らめたレイラがベッドから立ち上がった。
口を開きかけては俯き、もう一度何か言おうとしては目を逸らす。
しばらく経ってから、ようやくまっすぐな目で彼を見た。
マティアスはペンを回す手を止め、淡々とその視線を受け止めた。
半分開いたカーテンの間から差し込む月明かりを背に立つレイラが、
震えてはいるが、かなり澄んだ響きの声で、はっきりと尋ねた。
「今、一体何をしていらっしゃるのですか?」
◀71話 |捨ててくだ|もう泣かない、乞わない (前の記事へ)
▶73話| カナリアの歌 (次の記事へ)
【免責事項】
※翻訳方針については当サイトの「翻訳・引用ポリシー」をご確認ください。
※本記事は作品のテーマを考察するものであり実在の行為を推奨・肯定する意図はありません。
※作品の引用・翻訳は著作権法の範囲内で行い、引用元を明記しています。
※本記事は作品内容の分析・評論を目的としたものであり、原作の翻訳全文を掲載するものではありません。