🌹 本記事は、『この結婚はどうせうまくいかない』原作第7巻・終章をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。
会話部分や必要な箇所では、原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
※地名・人名について:本作には現時点で原作小説の公式日本語翻訳版がないため、地名・人名などの固有名詞は原文をもとに当サイトで日本語表記しています。今後、公式日本語版で異なる表記が採用される可能性があります。
終章|風はかつて吹いていた場所へと帰っていく 22
生存の報せが届いて、まだ二日。
膨らんだ腹を見るたび肝を冷やす兄と、
その腹が目に見えているからこそ今行きたいという妹。
やがてイネスが口にした「新しく心に決めたこと」は、
ルシアーノの想像の外にあった。
荷造りをしているのよ
「……何をしているんだ?」
「荷造りをしているのよ」
とはいえ、イネスは安楽椅子から指示を飛ばしているだけだった。
実際に動いているのはフアナとラウルである。
大量の荷物を前に、二人は「これもですか?」と何度も聞き返す。
すでに説得は尽くしたらしく、今は従うふりをしながら時間を稼いでいるようだった。
「一刻を争うのよ。いちいち聞かずに早くなさい!」
まるでペレス城の家政婦、ドーニャ・アルマが乗り移ったかのような勢いである。
だがルシアーノが呆れていたのは、荷物の量ではない。
(本当に、忍耐というものが欠片もない奴だ……)
まさか、あの身体で本当にカルステラへ行くつもりとは。
「……誰かが見たら、エスカランテの財産を根こそぎ持ち逃げするように見えるぞ」
「私がするのは与えることであって、奪うことではありません。すべて私の子供たちのものですもの」
「お前に今、一体何がそんなに一刻を争うというんだ?」
生存の報せが届いてから、まだ二日。
カッセルがいつカルステラへ帰還するのかさえ分からない。
「出産も近いお前が、どうしてわざわざ行くんだ?お前の夫の野郎がメンドーサへ帰ってくるべきだろう。馬車で五、六時間もあれば来られる」
「分からないの? その五、六時間よりも早く会いたいと言っているのよ」
あまりにも当然のように言い切られ、ルシアーノは言葉を失った。
それでもイネスは、出産予定日まではまだ間があること、カッセルは負傷しているうえ、帰還すれば軍人として果たすべき責任もあることを次々と並べ立てる。
そして誇らしげに、自分の腹を指差した。
「『メンドーサのあの』イネス・エスカランテがカルステラまで戻って待っているというのに、傷を負った彼を私のもとへ行かせまいとする者が、一体どこにいるというの?」
自分がメンドーサにいれば、五、六時間どころでは済まないかもしれない。
だから自分からカルステラへ行くのだと、イネスはいかにももっともらしく説明する。
けれど結局のところ——ほんの数時間でも早く、カッセルに会いたいのだ。
半月後か、二十日後かも分からない帰還を待つために、
不安定な身体を抱えてカルステラへ向かおうとしているのである。
「お前だって、妊娠中の負傷者だろうが」
「彼のちょっとした傷と、私のお腹に穴が開いたことを同列に扱うつもり?」
「その台詞を、そっくりそのままお前の夫の前でも言ってみろ」
あれほど自分の身体をぞんざいに扱ってきたイネスが、今では傷痕を残さずに済む方法を気にしている。
カッセル・エスカランテがあれを見て卒倒するんじゃないかと、ようやく心配できるようになったからだろう。まったく、誰が誰を心配しているのか。
「自分の腹が目に入っているなら、少しは自重しろ」
「子供たちのためなら、私がどれだけでも耐えることくらい知っているでしょう」
そしてイネスは、当然のように言った。
「目に見えているからこそ、早く行きたいのよ」
「これ以上、大きくなる前に」
あの腹の中には、子供が二人もいる
「これ以上」という言葉に、ルシアーノの顔が引きつった。
双子なのだから腹が大きくなるのは当然で、むしろまだ大きくなる——イサベラやアンヘリカから何度そう説明されても、彼の不安は消えなかった。
妹が妊娠するまで、妊婦を間近で見たことすらなかったのだ。
——あの腹の中には、子供が二人もいる。
何より、妊娠していることすら知らなかった頃、目の前で倒れたイネスをこの腕で受け止めている。
今では階段を下りる姿を見るだけでもひやりとするというのに、そんな身体でカルステラへ行くというのだから。
しかも、二人が暮らす家は決して広くない。
大量の荷物を前に、フアナとラウルが途方に暮れていたのも無理はなかった。
「……何もかも揃ったメンドーサを置いて、どうしてわざわざ行くんだ」
今はまだ、子供たちが「大丈夫」って言ってくれている
「ルシアーノ。あなたが言う『臨月』になった頃には、自分のお腹に押し潰されて死んでしまいそうなのよ」
その頃には、どれほど状態が良くても行けなくなる。
ルシアーノには、だから今行くという妹の理屈が理解できなかった。
実際、イネスが時折ひっそりと寝込んでいることも知っている。
「それで、二度と戻ってこないつもりみたいに荷造りをしているのか?イサベラ様が泣くぞ」
「泣くくらいなら、イサベラ様もカルステラへいらっしゃればいいわ」
そう言ってから、イネスは少しだけ真面目な顔になった。
「今はまだ、子供たちが『大丈夫』って言ってくれているような気がするの。だから、今を逃してはいけない気がする。今朝、目を覚ました瞬間にそう思ったのよ」
また以前のように動けなくなる前に、行きたい。
「今は本当に、不思議なくらい調子がいいの」
イネスは自分でもその感覚を確かめるように続けた。
「まるで、どこかへ行ってみなさいって言われているみたいに」
「『どこかへ』なんて言うから、妙に思い詰めているように聞こえるんだ」
この子たちを、生粋のカルステラ生まれにしてあげるのよ
どうせまた夫のことだろうと思っていたルシアーノに、イネスは思いもよらないことを告げた。
「この子たちを、生粋のカルステラ生まれにしてあげるのよ」
しばらく妹を見つめていたルシアーノは、やがて吹き出した。
「……それでようやく、あの荷物の理由が分かったよ」
当時はカルステラで暮らす下級将校でさえ、子供はメンドーサで産ませるほど、首都で生まれることに価値が置かれていた。
けれど、イネスの子供たちは違う。
戦に勝ち、戦死したと思われたところから生還するカッセル。
過酷な苦難を自ら断ち切り、その最中にも二人の子供を守り抜いたイネス。
その二人の子供だからこそ——ルシアーノにも、妹がカルステラを選んだ意味が分かった。
「『あの二人の子供たち』が『あの場所』で生まれるのなら——これ以上ふさわしい時はない」
物語は、再びそこから始まるのだろう
戦死したと思われていたカッセルがカルステラへ生還し、その夫を迎えるため、身重のイネスも軍港へ戻る。
そして入港式。
二人は再会を喜び、カッセルは初めて目にする妻の大きなお腹へ、震える手を伸ばす。
物語は、再びそこから始まるのだろう。今度は、歓喜の涙とともに。
そして、その光景はカルステラだけでは終わらない。軍港の小さな週刊紙や兵営の新聞から始まり、やがて首都へと広がっていく。
「今、私の夫に対するオルテガ海軍の支持は、これ以上は上がりようがないほど頂点に達しているわ」
イネスは、カルステラの日常として流れる夫妻の物語を、わずか一、二日でメンドーサへ届け、上流社会が繰り返し語る物語へ変える方法を知っていた。
かつてのように、ただ高貴な身分ゆえに注目されるのではない。
ベルグラーノ要塞を自らの力で脱したイネスも、死地から生還するカッセルも、すでに人々に語られるだけの「資格」を、自らの手で手にしている。
エスカランテ夫妻は、もはや以前と同じ二人ではないのだから。
カルステラは今や、完全に私たちの城壁になるのよ
「人を従わせるだけなら、額に銃口を突きつけるほど簡単な方法もないでしょう。でも——物語というものは、一つの社会そのものを屈服させることだってできるのよ」
そして、その社会をそのまま「私たち」の社会にすることもできる。
イネスが思い描いていたのは、カッセルへの忠誠と自分への羨望が集まるカルステラで生まれ、その街の愛情に包まれて育っていく子供たちだった。
やがて自分とカッセルの名が、堅固な城壁のように子供たちを取り囲む。
「カルステラは今や、完全に私たちの城壁になるのよ」
そしてイネスは、その強さをこう言い切った。
「皇帝の投げる小石一つさえ、越えてこられないほどの」
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