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🌹 本記事は『泣いてみろ、乞うてもいい』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。本文中の会話・心理描写・印象的な表現については、原作の表現を適宜引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
縛られた手首
応接室のソファから始まった情事がベッドで終わった時、
レイラは荒い息を吐く以外、何もできないほど疲れ果てていた。
手首が縛られていると気づいた時には、
マティアスはタイの反対側をベッドの柱に結びつけていた。
「解いて。今すぐ、解いてください!」
「静かにしていろ、レイラ。動くと結び目が締まるぞ」
もがくレイラの頭を撫で、楽に横になれるようタイを緩める。
枕を敷き、掛け布団をかけても、レイラが暴れるたびにすぐ乱れた。
一緒にシャワーへ連れていくのは無理だろう。
ならば少なくとも、自分が戻るまで逃げられないようにしておくしかなかった。
憎い
温かい蒸しタオルを手に戻ると、
レイラは皺だらけのシーツの上にぐったりと横たわっていた。
マティアスは眉を顰め、手首を締めつけるタイを解いた。
赤く残った跡に、長いため息が漏れる。
「動くと痛くなると言っただろうに」
「……気の狂った人」
優しい手つきで手首を揉みほぐす彼を見上げ、レイラは力なく呟いた。
マティアスはレイラを仰向けにさせ、
体に残った跡を蒸しタオルで静かに拭っていく。
向き合った瞳は、あまりにも静かだった。
つい先ほどまでの欲望など、どこにも残っていない。
——この男の頭には、スイッチでもあるのだろうか。
カチッと入れて、カチッと切れば、
まるで別人になれるような。
やがてマティアスは自分のガウンで裸の体を包み、抱き上げた。
レイラは驚いたように身じろぎしたが、もう抵抗する力もなかった。
そのまま胸に抱き、書類の置かれた場所へ戻る。
「……憎い」
眠ったと思っていたレイラが、小さく呻いた。
「私……あなたが、本当に憎いです」
憎むことだけは、喜んで
今まで、誰も憎んだことはなかった。
自分を捨てた母も、いじめ、鞭打った親戚たちも、
侮蔑を与えたエトマン夫人でさえも。
憎くなかったわけではない。
ただ、憎しみまで抱えて生きていくには、あまりにも重かった。
空にして、また空にして。
骨の髄まで空っぽにして、空高く飛ぶ鳥のように。
レイラはそうして、生き延びてきた。
けれど、この男だけは違った。
マティアス・フォン・ヘルハルトだけは、憎かった。
その憎しみが岩のように重く、
歩くことさえ辛くなるとしても。
それでもレイラは、心を込めて、喜んでこの男を憎みたかった。
「憎い。あなたが憎い。憎い……」
何度も囁きながら、やがて意識を失った。
レイラはマティアスの膝の上で、
その胸に抱かれ、体温に包まれたまま深い眠りについた。
「ちゃんと生きていきたいのなら、捨てないでと乞えばいいのに、レイラ」
蘇った奇妙な不快感に、マティアスは虚脱した息を吐いた。
抱いた腕に、無意識の力がこもった。
与えられるものは、いくらでも
マティアスは、この美しい愛人に与えられるものをいくらでも持っていた。
良い家も、安楽な暮らしも。
望むなら、あれほど渇望した大学へ行かせることもできる。
一生、好きな鳥を研究して暮らすことだって。
カイル・エトマンが与えられなかったものまで、いくらでも。
——それなのに、ちゃんと生きるために君は僕の元を去りたいと。
生意気な言葉を吐いた唇を、指先でそっと撫でる。
その口は、言葉とは裏腹に温かく柔らかかった。
マティアスは再び仕事へ戻った。
規則的な寝息が、音楽のように心地よい。
温かい体も、匂いも、小さな寝返りさえも。
胸に抱いたこの女のすべてが、好きだった。
——もしかしたら、この欲望は思ったより長く続くのかもしれない。
そんな予感も、それほど不快ではなかった。
初雪の記憶
最後の書類を置いて顔を上げると、窓の外に雪が舞っていた。
凍りついた川へ降る雪を眺めるうち、マティアスの脳裏に今冬の初雪の日が蘇る。
慈善公演の帰り。
公園の街路灯の下で、レイラと向き合った夜。
「雪……?」
毎年見るものなのに、嬉しそうに顔を上げて微笑んでいた。
長い睫毛に積もった白い雪の粒まで、
今も鮮明に覚えている。
「レイラ」
歌うように呼んだ声は、夜の雪のように静かだった。
だがレイラは寝返りを打つだけで目を覚まさない。
はだけたガウンが、腰の下までずり落ちた。
起こそうとして、やめた。
代わりに頬をそっと包み込む。
するとレイラは眠ったまま、その手に甘えるように頬を擦りつけた。
ほんの微かな動きだった。
それなのに——
雪の粒のような何かが、
自分の胸の中にも静かに舞い落ちたような気がした。
欲望とは、少し違う。
胸の中にすっぽり収まったこの女を、
ただ限りなく長く、深く見つめていたい。
見慣れない感情だった。
マティアスは半裸の小さな体を抱き締め、裸の背中をゆっくりと撫でた。
レイラはその温かさを求めるように、さらに胸の奥へ潜り込んでくる。
マティアスは目を閉じ、その目元へそっと口づけた。
——レイラ
唇だけで、その名を呼ぶ。
「レイラ。レイラ。レイラ……」
君を迎えに行くよ
首都を発った夜行列車がカルスバール中央駅へ滑り込んだ。
まだ日は昇らず、プラットフォームは冷たい夜明けの光に沈んでいた。
列車から降りたカイルを待つ者はいない。
予告のない帰還だった。
両親は、息子が今頃大陸南部へ向かっていると信じている。
ラッツ中央駅へ着くまでは、カイル自身もそのつもりだった。
最後の手紙にも、レイラから返事はなかった。
だから未練を断ち切り、父に勧められた旅へ出るはずだった。
——それなのに。
ラッツで突然、行き先を変えた。
理由を考え続けたが、答えは一つしか浮かばなかった。
——こんな拒絶は、レイラらしくない。
長い間知ってきたレイラなら、何も言わずにすべてを断ち切るだろうか。
何かあったのではないか。
病的な恋しさと未練が生んだ錯覚でも構わなかった。
ただ、自分の目でレイラを確かめたかった。
駅舎を出ると、白い雪に覆われた広場が広がっていた。
「レイラ……」
囁いた名前が、白い吐息になって消える。
トランクを握る手に力を込め、カイルは雪の降る広場を歩き出した。
——君を僕の世界のように愛するよ。
大切にする。傷つけたりしないよ、レイラ。
レイラが小さく頷いてくれさえすれば、
最後の手紙に込めた約束を、すべて守ることができる。
——君を迎えに行くよ。僕と一緒に去ろう。僕たち二人が幸せになれる場所へ。
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