🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、原作をもとに、物語の流れと人物心理を整理しています。会話部分は原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
指輪の消えた指には、白い跡だけが残っていた。
——『悪魔の猟犬』が戻ってきた。
一方、小川沿いの家では幻聴が止まらない。
聞き覚えのある、あの犬の鳴き声。
死んだはずの白い犬が、チャイムとともに帰ってくる。
首に結ばれたピンクのリボンには、彼女自身の名前が刺繍されていた。
最後の贈り物の意味を悟った、その瞬間——
サイレンが鳴り響く。
悪魔の猟犬、戻る
トロサ諸島には、すでに戦雲が漂っていた。
民間人避難令が下され、埠頭は生き別れとなる家族の涙の海。
偵察艦から降りたバスティアンに、部下のケイレン少尉が妻子との挨拶を願い出た。
「もう下がってくれて構いません」
短い命令に、将校たちは我先にと家族のもとへ走った。
単身、司令部へ向かうバスティアンの後ろには、誰もいなかった。
作戦会議で彼は報告した。
ロビタ海軍の核心戦力が北海に集結し、ベルクの領海を包囲する形で陣を敷いている。諜報は事実であり、開戦は早まる可能性があると——。
老将たちさえ動揺する状況で、完璧な平静を保つ姿は、冷徹を通り越して無情にさえ見えた。
デメル提督は、休暇前の生き生きとした青年の顔が跡形もなく消えたことに気づいていた。
単に目の前の戦争のためだけではないという事実が、彼の心を一層重くした——海図を指す指には、結婚指輪が消えた白い跡だけが残されていた。
バスティアンが離婚を決意した。
皇帝すら理由を知らず、ただ迅速かつ静かな処理だけを要請したという。
『悪魔の猟犬』が戻ってきた。
理由が何であれ、祖国にとっては有益なこととなるだろう。
幻聴
レッスンのない休日、オデットは夜明けから真昼まで働き続けた。
雑草取り、洗濯、鍋磨き、来週剥がされる床までピカピカに——毎日掃いて磨いている家は、すでに十分にきれいだったが、オデットは黙々と掃除を始めた。
この半月の間、繰り返してきた一種の儀式だった。
昼食は、バターを塗った乾いたパンと冷たい水だけ。これではいけないと分かっていても、料理をする気が起きなかった。
——たった5日間滞在して去った男なのに、何倍もの時間が流れても、記憶はなかなか薄れない。
客間の掃除中、犬の鳴き声が聞こえた。
ありふれた騒音——のはずが、聞き覚えのある声。マルグレーテの声だった。
「しっかりしなさい」
小花柄の布団が思い出させる記憶は、深く飲み込んだ。
幻聴を消そうと猛烈に床を磨いた。
だが消そうとするほど、鳴き声は鮮明になっていく。
——チャイムが鳴ったのは、その時だった。
帰ってきたマルグレーテ
玄関のドアを開けると、白い犬が走ってきた。
階段を上がり、ポーチを通り、夢中でしっぽを振りながら脚にまとわりつく。
——また、幻影なのだろうか。
抱っこをせがむ仕草まで、間違いなくマルグレーテだった。
「奥様!」
聞き慣れた声に顔を上げる。ポーチの下には、泣きそうな顔をしたドーラがいた。その後ろには運転手のハンスと、バスティアンの弁護士も一緒だった。
「旦那様のご命令で、マルグレーテをお返しに参りました」
よろめきながら受け止めた小さな体は、この上なく温かかった。
決して勘違いではない、確かな感覚。
オデットは悲鳴のようなうめき声を漏らしながら、マルグレーテを抱きしめた。
今この瞬間、腕の中のこの犬一匹が、世界の全てだった。
そして応接室には、もう一つの奇跡——籠の中でうごめく、三匹の子犬。
マルグレーテは身ごもったまま見つかり、バスティアンが休暇に出発した翌日、無事に出産していたのだった。
悪役の真実
マルグレーテを見つけたのは、バスティアン自身だった。
父が殺害された知らせを聞いたその日も、死んだはずの犬を探し続けた。
クラウヴィッツ家の悲劇には一切の関心を払わずに、夫妻の葬儀の翌日には、自ら下水溝の浮浪者の隠れ家へ足を運んだ。
そこで、ぼろきれのようになったマルグレーテを見つけた。
名前を呼ぶと、犬は夢中で走ってきて、彼の腕に飛び込んだという。
——マルグレーテが死んだというのは、バスティアンがでっちあげた嘘だった。
オデットは、その理由を問わなかった。聞いた瞬間に理解した。なぜ悪役を買って出たのか。なぜ諦めなかったのか。なぜ、たった一言もなく去っていったのか、その全てを。
——そういう男だった。だから憎かったし、だから感謝していた。今も。
「旦那様は、海軍省の特別訓練に参加するため、トロサ諸島に行かれました」
ピンクのリボン
「お二人の離婚が完了いたしました。皇帝陛下の特命により、迅速に手続きを終えることができました」
弁護士の言葉に、マルグレーテを撫でる手がこわばった。慰謝料の説明は、耳鳴りにかき消されて届かなかった。
それが目に入ったのは、説明が終わる頃だった。
マルグレーテの首に結ばれた、ピンクのリボン。
端には刺繍のイニシャル——『オデット・フォン・ディッセン』。
——ポロの試合の日、バスティアンに贈り、彼が手首に結んでいたあのリボン。
試合のあと、ぞんざいに捨てられたのだと思っていた。そう信じて、傷ついた。
「それは、旦那様が直接結んでいかれました。マルグレーテに贈る最後の贈り物だとおっしゃいました」
バスティアンが、このリボンを大切に持っていた。そして、返してくれた。
——最後の贈り物の意味まで察した、その瞬間。
鋭いサイレンの音が鳴り響き始めた。
玄関を慌ただしく叩く音。血相を変えたジェンダース伯爵が立っていた。
「ロビタが宣戦布告をしました。先ほど、ベルクの皇帝も総動員令を布告したそうです」
「それは一体……」
「戦争です。——戦争が勃発しました、オデット」