🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。会話部分は原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
ジェフとテオドラは死んだ。
復讐を終え、すべてを手にしたバスティアンは、
何事もなかったように日常を生きている。
誰の目にも、彼は勝者だった。
——夜が来るまでは。
マリアの不安
「葬式はちゃんと済ませたわよ」
マリア・グロスの低い声が、沈黙を破った。
ジェフ・クラウヴィッツは、妻の手で殺害される最期を迎えた。
死因は毒。
夫に毒を盛ったテオドラは、用意していた拳銃で自ら命を絶った。
遺書は発見されず——あらゆる憶測を意図したかのような死に方だった。
葬儀場は弔問客より記者でごった返し、
ついに姿を見せなかったバスティアンの話題が加われば、熱気はさらに高まるはずだった。
「心から悼めというわけではない。死によって許されるような罪ではないから。だけど、適度な形式は整えるほうがあなたにとって良いのではない?」
心から訴えるマリアに、バスティアンは無言で煙草を勧め、自分も一本くわえた。
儚く散る煙の向こうの彼は、この悲劇と無関係な人のように超然としていた。
勝者の余裕がにじむ態度。
それなのに、なぜだか不安だった。
まるで、犬に噛みちぎられたまま海に落ちて死んでいく子供を発見した、あの日に戻ったかのように。
バスティアンは変わってしまった。
マリアはもう確信できた。
誰よりも巧みな処世術で出世街道を走ってきた男が、なぜか自己破壊的な選択を続けている。
まるで父親を徹底的に踏みにじりさえすればいい、
その後はないかのように。
「じきに消えることになりますから」
「しばらく、私と一緒に過ごさない?」
マリアの提案に、バスティアンは柔らかく笑った。
「孤児になった甥へのご配慮だけ、ありがたく受け取っておきます」
「あなたの父親の墓になった家を目の前にして暮らしても、いいことなどないでしょう」
「ご心配なく。じきに消えることになりますから」
取り壊しは、夏が来る前に終わる予定だった。
そのとき、水差しを取ったバスティアンの手首から時計がずれ、赤い傷跡が覗いた。
「どうして……」
「訓練中に少し怪我をしました」
質問を遮るように答え、すぐに袖で隠してしまう。
退役を勧めても、「軽い擦り傷です」と取り合わなかった。
数々の醜聞を抱えながらも、バスティアンの地位は揺らいでいなかった。
社交界では軽蔑と畏敬を集め、
海軍でもなお、皇帝の寵愛を受ける英雄だった。
だからもう、マリアが心配しているのは彼の立場ではない。
——虚無に侵食されていく、その心だった。
愚かな愛でも掴んでいれば、もっと良かったのだろうか。
そんな思いを隠し、マリアは鞄から一通の手紙を取り出した。
「テオドラからよ。受取人はあなたなのに、私の家へ送ってきたの。読むにせよ捨てるにせよ、あなたが決めなさい」
バスティアンは手紙をジャケットの内ポケットへ入れた。
「もし気が変わったら、いつでも連絡をちょうだい」
「ええ、そうします」
いつも通りの滑らかな微笑み。それを見つめたマリアは、虚しく笑った。
——最後の最後まで、
バスティアンはこの墓を守るつもりなのだ。
紐につながれた猛獣
深夜。
ぴんと張ったロープが、軋むベッドを引いた。
ベッドの脚から、バスティアンの手首まで、
一本のロープが逃げ道を塞ぐようにつながれている。
抜け出そうともがくほど、結び目は固く締まった。
紐につながれた猛獣のように身悶えしていた男は、やがて力尽きたように床へ倒れ込んだ。
皮の剥けた手首から流れた血が、ロープを赤く染めていた。
それでも、虚ろな瞳だけは奇妙なほど静かだった。
再び目を開けたのは、夜明けの頃。
青い光に満たされた部屋は、深い水の底のようだった。
バスティアンは淡々とロープの結び目を解いた。
——また、子供がやってきた。
今日は母親の手を握っていた。
そして三人で、家族として平凡な一日を過ごした。
それだけだった。
やがて子供は、また去っていった。
これ以上残酷で、
これ以上美しい悪夢を、
バスティアンは知らなかった。
クラーマー博士に睡眠薬を処方してもらおう。
深く眠ることができれば、夢遊病も治まるかもしれない。
氷のような水を何度も浴び、
傷ついた手首を治療して包帯を巻く。
そして、動いてしまったベッドを元の位置へ戻した。
子供の頃にも、手際よくこなしていたことだった。
今さら、難しいはずもなかった。
まだ終わっていない課題
葉巻をくわえてテラスに出ると、
闇が退きつつある海の向こうに、父の世界が見え始めた。
母親に犯した行いを、そっくり返された父親の最期が、
バスティアンはとても気に入っていた。
継母の自滅も同じだった。
心から愛した存在に裏切られ、地獄を味わい、自らの手で全てを崩壊させる破滅——望んだ通りになった。
それでも物足りないのは、
まだ最後の課題を完遂できていないせいだと感じられた。
普段より早く一日を始めようとしたとき、
コンソールの上の、まだ開けていない手紙が目に入った。
朝の光が、暗闇に隠されていた手首の傷跡をあらわにする。
バスティアンは葉巻をくわえたまま封を破り、
昇り始めたばかりの光の中で手紙を広げた。
——『お前は、お前が勝ったと信じているだろうね。でも、バスティアン、本当にそうかしら?』
テオドラの遺書は、優雅な筆跡で綴られた、
嘲るような質問から始まっていた。
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