🌹 本記事は『バスティアン』原作をもとに、原作をもとに、物語の流れと人物心理を整理しています。会話部分は原作の表現を引用する場合があります。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
命じられた任務を冷徹に遂行するだけ。
自分の命にさえ、未練がないかのように。
——逆説的だが、その虚無感が彼をより強くしていた。
『クラウヴィッツ少佐の艦は、決して沈まない』
一方、村の祈祷会に加われない女がいる。
夫のために祈る資格を、もう持たない女だった。
毎晩手紙を書き、毎朝それを破り捨てながら。
沈まない艦
「総員、戦闘配置!」
トロサ諸島本島の北東部海域。
デメル提督率いる第5戦艦戦隊とロビタ偵察艦隊の交戦は、味方の勝利が確定的だった。
だがバスティアンは、後方追撃を決断する——目的は、遅れをとった敵駆逐艦の拿捕(だほ)——沈めずに捕らえること。
北海戦線は開戦から一カ月、矛と盾が拮抗する膠着状態にあった。ベルク本土への海路を開こうとするロビタ大洋艦隊と、防衛線でそれを閉ざすベルク北海艦隊。
艦隊規模ではロビタが上回るが、トロサ諸島を掌握するベルクは、補給と機動力で優位。
ただし、北海封鎖で海上補給路は断たれ、膠着の長期化は味方にも損害だった。
指揮艦に青い信号旗——自主的な作戦遂行の許可。
潮流の激しい海域に入ると、波は艦橋の窓を叩くほど高くなった。両軍とも身を慎む海域だったが、バスティアンは躊躇しない。
「現在の航路を維持。両舷、前進全速」
艦橋の将校たちは、息を殺して命令を待った。
緊張した顔とは裏腹に、その眼差しには強い信頼が滲んでいる。
——バスティアンは、退路の橋を燃やしたかのように見えた。
命じられた任務を冷徹に遂行するだけ。それ以外の何にも、自身の命にさえ未練がないかのように無関心だった。逆説的だが、その虚無感が、バスティアン・クラウヴィッツをより強くしていた。
——『クラウヴィッツ少佐の艦は、決して沈まない』
その冗談はいつしか定説となり、レイヴァエル号の乗組員にとって、どんな迷信より強い勝利のお守りになっていた。
「主砲は待機。副砲のみ撃て」
損傷の大きい敵艦を沈めず捕らえる、精密な判断。敵が旋回して反撃態勢に入っても、彼は動じなかった。
「舵を右へ10度、変針」
激しい戦いを控えた瞬間でも、前方を見据える眼差しはただ静かだった。
「発砲開始!」
朝刊の習慣
今朝の新聞にも、クラウヴィッツ少佐の記事は載らなかった。
オデットは、その事実に安堵した。
——毎朝、朝刊を買うことから一日が始まる。
戦争が始まってからできた習慣だった。
総動員令で村の若い男たちは徴兵され、市の立っていた広場には、ぎらつく日差しと埃だけが満ちていた。
数日前、村の教師の戦死通知が届いた。
昨日の葬儀では、遺体さえ収容できなかった棺に、血まみれの軍服と認識票だけが置かれていた。
母親は声を上げて泣き、事情を知らない子供たちは無邪気に遊んでいた。
その光景を前に、オデットは慰めの言葉さえ口にできなかった。
他の弔問客たちも、同じだった。
定時を知らせる礼拝堂の鐘が、熱い風に乗って流れてくる。
まもなく、戦場の夫のための祈祷会を終えた村の女たちが、通りに出てきた。
「マリ・ベラー」として生きるオデットは、その集会に参加できなかった。本来の身分を明かしても同じだと思い出すと、乾いた笑いがこみ上げた。
今や、彼らは他人だった。
偽りの結婚生活は幕を閉じ、バスティアン・クラウヴィッツはもはや彼女の夫ではない。したがって、オデットにはいかなる権利もなかった。
「変な噂を聞いたんです。以前、私たちの村を訪れたマリーさんのいとこについてです。もしかして嘘を……」
食料品店の妻の問いは、周囲に遮られて終わった。
だが、戦争でバスティアンの写真が帝国全域に広まった今、正体がばれるのは時間の問題だった。
——この村を離れる時が来たのだ。
毎晩書いて、毎朝破る
川沿いの柳の木陰で、オデットは立ち尽くした。
きらめく水面を見つめていると、バスティアンとこの道を歩いた日々が蘇る。
目頭が熱くなり、喉が詰まった。
マルグレーテとともに返ってきた、あのピンクのリボン。
バスティアンは、すでにすべてを整理して去った。
それでも、最後の贈り物の意味を思うたび、答えの出ない問いが残った。
——あなたの本心は、何だったのだろう?
オデットは毎晩、バスティアンに手紙を書いた。そして毎朝、その手紙を破り捨てた。
最も激しい前線で戦っている人だった。
自分の未練で、その心を乱したくはなかった。
涙でぼやけていた視界が晴れるのを待って、オデットは再び歩き出した。
家に着くと、マルグレーテがしっぽを振って駆け寄ってきた。ずいぶん大きくなった子犬たちも、よちよちと母親の後をついてくる。
——バスティアンが贈ってくれた奇跡。
赤くなった目に、悲しい幸福の微笑みが浮かぶ。
だが、それはすぐに消えた。
一瞬、目の前が真っ白になり、脚が折れ曲がった。
口いっぱいに唾がたまり、吐き気がこみ上げてきた。
オデットは、ついに玄関の前にへたり込んだ。
「オデット!」
マルグレーテの吠える声の向こうから、聞き慣れた声がした。
顔を上げると、車から降りたジェンダース伯爵が、慌ててこちらへ駆けてきていた。
海賊と呼ばれた男
「敵艦拿捕(だほ)だと!おい、クラウヴィッツ少佐。君は海賊か?」
総司令官の怒声が飛ぶ司令部。
成功した作戦にもかかわらず、緊急会議は派閥争いの様相を呈した。
彼を庇うデメル提督と、責めるライエン提督——命がけの戦場でも争いは相変わらずで、バスティアンは対岸の火事のように傍観した。むしろ敵を相手にする方がましに思えた。
「何の役にも立たない敵艦を、一体なぜ連れ帰ってこんな騒ぎを起こしたのだ?」
「捜索する予定です」
「そこに何があるというのか?」
「探せば分かるかと存じます」
明確な目的も明かさず超然とする男に、総司令官は釘を刺した。
手ぶらで帰れば懲罰だと。
喜んで命令に従ったバスティアンは、司令部を後にした。
——まもなく、拿捕(だほ)した敵艦の捜索作戦が始まった。
白兵戦に備えて武装した捜索隊の先頭には、クラウヴィッツ少佐が立っていた。