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🌹 本記事は『泣いてみろ、乞うてもいい』原作をもとに、高解像度あらすじ形式で構成しています。会話部分は原作の表現を引用しています。
※ネタバレ注意:ここから先は、重大なネタバレを含みます。
猛毒となる微笑みを
休暇明けの子どもたちは一段と大きくなり、その分いたずらも増えていた。
算数を解き終えて得意げな子を褒め、泣き出したモニカをなだめ、喧嘩を叱る。
そんな慌ただしい一日が終わった。
見上げた窓の外の枝には、薄緑色の新芽が芽生えていた。
じっと見つめなければ気づかないが、間もなく、一瞬で世界中が春の色に染まるだろう。
その前に、全てを終わらせなければ。
決意を固めながら、レイラは鞄をまとめた。
——あの悪魔のような男と、恋人だなんて。
鳥肌が立ちぞっとしたが、嘘が甘美であるほどあの男の傷も深くなると思えば、何でも耐えられる気がした。
あの男が騙されてくれた日は、あまりに嬉しくて眠れなかった。
それが、あの男がレイラに与えた最初の幸福だった。
教室を出る前、レイラは髪をほどき、薄く化粧をした。
随分練習したのに、まだ思っていたほど上手くできず、少し不器用だった。
恐ろしい男のために着飾る、まるで本当に花代をもらう女にでもなったような惨めさは、胸の奥深くにしまい込むことにした。
——だから、今は笑って。
自分を励ましながら、口角を引き上げる。
——あなたの微笑みが猛毒となるように。
作れる限りで一番の美しい笑みを浮かべて、レイラ。
変なのに、どうして綺麗なんですか
マティアスは、村の学校へ続く道の曲がり角で車を停めた。
自ら運転すると告げた時、随行員と運転手は、この世の滅亡でも目撃したような表情を浮かべていた。
久しぶりのハンドルは、それほどぎこちなくもなかった。
窓の外へ視線を向けると、ちょうど道の突き当たりから、レイラが歩いてきた。
せっせと小走りに進む足取りに合わせ、金色の髪がなびく。
——静かでいて、忙しく動き回る女だった。ポロロンと、軽やかに舞い上がる鳥のように。
初めて会った幼い頃から今まで、変わらずそうだった。
彼が待っているとは思いもしないのか、レイラは車を目前にしても速度を緩めない。
マティアスは窓ガラスを叩き、性急な彼の鳥を呼び止めた。
「あ……。」
びくりと立ち止まったレイラの顔に、困惑が広がっていく。
「公爵様が……ここにいらっしゃるんですか?約束の場所はここではないのに。」
「どうしてだと思う?」
「迎えに来てくださったんですか?まさか公爵様がご自分で、こんな所まで、私を?」
車内に誰もいないと確かめたレイラの表情は、先ほどの運転手のそれと大して変わらなかった。
助手席のドアを開けると、鞄を握りしめたレイラがおずおずと近寄ってくる。
間近で見た顔は、普段と少し違っていた。
「化粧したのか?」
その声には、笑いが含まれていた。
何でもない質問にも、レイラは悪事を見つかった子どものように驚き、うろたえる。
「変ですか?」
「少しね。」
真剣に尋ねる表情が可愛らしくて、マティアスは意地悪になった。
どうすればいいのか分からず唇を結ぶレイラの頬が、徐々に火照り始める。
「取る必要はない。」
ハンカチを探る手首を、彼は優しく掴んで止めた。
「変だって言ったじゃないですか。」
「うん。」
「じゃあ、取ります。」
「綺麗だ。」
「……変なのに、どうして綺麗なんですか?」
レイラは眉間を思いきり顰めた。だが、馬鹿げたことを言った公爵は、相変わらず平然としていた。
悩んだ末、レイラはとりあえず車に乗り込むことで、このぎこちなさを避けた。
——余計なことをして、計画を台無しにしたのだろうか。
不安になり手鏡を覗くうちに、公爵も乗り込んできた。
私、本当に綺麗ですか?
「はっきりと、おっしゃっていただけませんか?」
決然とした表情で、レイラがいきなり尋ねた。
「言えば、俺が言う通りに従うというのか?」
「はい。」
「なぜだ?お前は俺が楽しむのが嫌なはずだろうに。」
「公爵様のためにそうするのではありません。」
「では?」
「だから、私、私自身のためです。」
鋭い眼差しに不安を感じ、レイラは矢継ぎ早に言葉を並べた。
「綺麗に見えれば、優しくしてくれるかもしれないから。」
——言えば言うほど泥沼の奥深くへはまっていく気分だったが、引き下がるのはやめた。
幸い公爵は疑うことなく、車を発進させた。
胸がどきりと落ち込む言葉が聞こえたのは、安堵した直後だった。
「言ってみろ、レイラ。何を、どう、優しくしてほしいと願うのかを。」
「それは……綺麗だという意味ですか?」
呆然と聞き返しても、片方の口角を上げて笑うだけの彼が、レイラをさらに戸惑わせる。
これはあまりにも簡単すぎるのではないだろうか。
公爵に何か魂胆があるのかもしれない。すでに全てを見透かしているのかも。
——もし、そうではないのなら。
「私、本当に綺麗ですか?優しくしてあげたいと思うほどに?」
不安に震えるくらいなら、レイラはいっそ厚かましくなることにした。
車は、市街地へ続く道に差し掛かっていた。
マティアスは、じっと見つめるレイラをちらりと見た。
壊してしまいたくなるほど、
そうしてでも手に入れたくなるほど、
この女は美しかった。
もちろん、それが客観的な事実ではないことくらい分かっている。
レイラほどの美しい女は、他にもいるだろう。
だが、そんな理屈は意味を持たなかった。
レイラのように歩き、
レイラのように笑い、
レイラのように彼を見つめる女は、レイラだけだった。
時にはいっそ飲み込んででも完全に自分のものにしたいと思った。
この恐ろしいほど美しいレイラだけが。
——それなのに、たかだか優しくしてあげたいと思うほどだと?
その可愛らしくも憎たらしい問いに、マティアスは失笑した。
完璧に着飾った社交界の淑女たちに何の感興も覚えなかった彼が、この女の拙い着飾りの前では、青臭い少年へと成り下がってしまう。
自分のことを考えながら服を選び、髪を梳かし、たどたどしく化粧をしていったレイラを思うと、自然と熱が上がった。
そう考えると、この女の願いはすでに叶ったのかもしれない。
今すぐその装いを乱してしまわないことだけでも、既に限界以上の好意を施していることになるのだから。
「何もおっしゃらないから、そういうことだと信じることにします。」
気恥ずかしくなったのか、頬を赤らめてレイラは視線を避けた。
だが間もなく、また脇目でちらちらと彼を見始める。
ハンドルを握る、マティアスの手に力がこもった。
「公爵様が運転をできることが、驚きです。」
「鐘を鳴らすこと以外にも、何かできることがあるって知らなかったから。」
皮肉を投げる瞬間にも、大きな瞳は澄んで輝いていた。
一見、臆病でおとなしそうに見えるが、知ってみるとこれ以上ないほど大胆な女。
その笑みの中で、マティアスは改めて気づいた。
自分が、この女のこういう側面をかなり好きだということを。
憎むのと、同じだけ美しく
「それでも、私たち二人だけでいられて嬉しいです。」
うっかり事を台無しにするのを恐れ、レイラは適当なお世辞を付け加えた。
そして、そっと笑ってみせた。
——嫌悪感を押し殺して練習した通りに。
最も憎む男のための、最も美しい微笑みを。
馬車と自動車の入り混じった大通りは混雑していた。
渋滞の先を見ていた目を向け、マティアスはにこやかに笑うレイラを見つめる。
目が合っても、レイラは表情を変えない。
恥ずかしそうに視線を避けたかと思えば、すぐにまた目を上げて彼を見た。
マティアスの喉仏が、ゆっくりと動いた。
真夏の炎天下に立っているように、喉が渇いた。
「考えてみたのか?」
熱気で乾いた唇を開き、彼は低く尋ねた。
「俺がお前を、どう、可愛がってやるのを望むのかを。」
笑みの消えた目が、ゆっくりとレイラをなぞる。
丸裸にされるような気分になり、レイラは慌てて頭を下げた。
誘惑しなければという一念で来たが、
恋人の真似をするために何をどうすべきかが、全く思い浮かばなかった。
本物の恋人たちは、一体何をするのだろう。
いっそ公爵が何か要求してくれればいいのに、彼は少しもそうする気がないようだった。
「それは……今日はまず、おいしい夕食をごちそうしてください。」
つまらないことだと分かりながら、思いつくままに呟く。
「それから……あ! 春が来たら、アルビスの東端にある野原に綺麗な花がいっぱい咲くってご存じですか?」
「公爵様の領地なのに、ご存じなかったんですか?本当に綺麗なんですよ。」
残念そうな瞳が、マティアスを笑わせた。
「あの野原に花が咲くと、私はいつもそこへ遊びに行っていました。木陰に寝転んで本を読んだり、お菓子を食べたり、昼寝をしたり。」
——あなたが踏みにじった私の大切な人、カイルと一緒に。
心に隠した棘の深さほどに、レイラは明るく微笑んだ。
「この春、花が咲いたら、私たち一緒に遊びに行きましょう。公爵様の領地がどれほど綺麗か、お見せしますね。それから、アイスクリームはお好きですか?」
今度はもう少し、平然と尋ねることができた。
「アイスクリーム?」
とんでもない話を聞かされたように、マティアスは眉を顰める。
「はい。私は好きです。バニラ味が。」
校門の前で待っていたカイルと家へ帰る途中、二人で買って食べた、冷たくて甘い味が舌の先に残るかのようだった。
——もう二度と戻らない、壊された思い出の味が。
「来月、お給料をもらったら、おごってあげます。一緒に食べに行きましょう。」
——嘘に、これほどまで才能があったとは。
苦々しく感心する間に、マティアスの口元に歪んだ微笑みが浮かんだ。
「どうしてそんなに気前がよくなったんだ?」
狙いを定めた獲物を見るような鋭い視線が、レイラを射る。
「まるで、嘘のように。」
「それは……。」
真っ白に凍りついた手を、レイラは急いで鞄の下に隠した。
——切実に祈った。どうかこの男を騙せるようにしてほしいと。
「好きだからです。」
最も言いたくない言葉を、レイラは結局また口にした。
「気に入らなければ、また憎むことにしますか?」
疑われるのを恐れ、屈託のない顔で微笑んでみせたりもする。
心臓が不安に脈打つ音が、ぼんやりとした意識の中に乱雑に響いた。
「私は、好きでいたいのにな。」
駄々をこねるように、レイラは小さく囁いた。
不審そうに見つめていた眼差しは、幸いにも一層穏やかになった。
暖かい午後の日差しが、忍び笑いを漏らす彼の顔を照らす。
——自分が罠にかかったなどと思いもしない、その傲慢な悪魔の微笑みは、魅惑的だった。
レイラは喜んで、それに応えて笑いかけた。
美しく。
彼を憎むのと、同じだけ美しく。
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